これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/06/21 説得力

私は「説得力」という言葉が嫌いである。特に学問上の議論においては、決して、この言葉を使わない。 ふつう「説得力がある」という表現は、「論理的整合性がある」という意味ではなく、「もっともらしく聞こえる」「その気になる」というような意味で使われる。 セールスマンの営業トークであれば、そうした説得力は重要であるかもしれないが、学問においては、無意味である。

学問的素養の乏しい人は、学問上の命題の真偽を判断する際に、自身の頭脳ではなく、「それを誰が言ったか」に頼ることがある。 たとえば「有名な○○先生が言っていたから、たぶん、正しいのだろう」とか、「著名な△△の教科書に、そう書いてあったから、正しいのだろう」とかいう具合である。 逆に、私が何か風変りな学説を唱えても「あいつは、いつもデタラメばかり言っているから、今回も、たぶん間違っているだろう」などと言われ、信じてもらえない。 つまり、○○先生の言葉には説得力があるが、私の言葉には説得力がないのである。

しかし私は、説得力のある話術を身につけようとは思わない。 たとえ世の中の大半の人が私を嗤っているとしても、ごく一部の人々の胸には、私の思う所は届いているようであり、それで充分であると考える。

少なくとも学問上の議論をする限りにおいては、真偽は専ら論理によって検証されるべきであって、その判断に権威が影響を与えてはならない。 私の意見を馬鹿にする一方で、同じことを教授が言えばウンウンと頷く、などという態度は、科学者として、医師として、学生として、恥ずべきものである。 また、そういう人々に迎合し、「説得力のある話術」によって人を魅きつけて牽引することは、反知性的である。

物理学や数学、生理学、生化学といった基礎学問が重要なのは、これが理由である。 基礎を理解することなしには、自身の頭脳で考えることは不可能だからである。 しかし現在の医学科生は、基礎学問を著しく軽視し、試験で点を取る能力ばかり鍛えている。 彼らが専ら権威に依存して「判断」する医師になることは明白である。 日本の医学教育の腐敗は、かなり深いところまで進行していると、言わざるを得ない。

以上の意見に対し、次のような批判があるだろう。「そうは言っても、おまえは、ハーバード大学の教授連中が書いた教科書を愛好し、つまり、権威に依っているではないか。」 この批判は、当たっていない。私がハーバード発の教科書を愛用しているのは事実だが、これは、ハーバード故に信頼しているわけではない。 その記述を自身の眼と頭脳で検証し、信頼に足ると判断したから、愛好しているに過ぎない。 相手がハーバードであろうと、ジョーンズ・ホプキンスであろうと、内容がくだらぬと思えば、 私は「この著者は、全然、わかっていない」ぐらいのことを言い、その教科書を放り捨てるであろう。 とはいえ、今まで実際にはそういう事例に遭遇したことはない。ハーバードは、さすがに、名門である。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional