これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
近代日本の西洋医学は、杉田玄白らによってオランダから輸入されたものである。 その後、明治の頃にはドイツから当時の最新医学が輸入され、第二次世界大戦後は米国の後を追ってきた。 有名な医学の教科書には、日本語で書かれたものは極端に少ない。 学生や初期臨床研修医向けのものには清水宏『あたらしい皮膚科学』第 2 版などの名著があるが、専門性はあまり高くない。 キチンとした専門書となると `Harrison's Principles of Internal Medicine' 19th Ed. だとか、 `Nelson Textbook of Pediatrics' 20th Ed. だとかの、英語の書物や、その訳書になってしまうのである。 日本の医学教育が米国より大きく遅れていることは、このあたりの事情をみるだけでも、明白である。
こうした事情もあって、若い医師や医学科生の中には、外国語を不適切にありがたがる者がいる。 たとえば、血液検査所見で「白血球数」のことを「ワイセ」などと呼ぶ者がいる。 白血球のことを英語では leucocyte と言うが、日本語と同じように white blood cell と呼ぶこともある。 ドイツ語でどうなるのかはよく知らないが、英語の white にあたる部分が weissen となるらしい。 標準ドイツ語の発音では「ワイセン」という感じになるのだろう。これを縮めて「ワイセ」になったのだと言われる。
他に、赤血球に含まれる「ヘモグロビン」は「Hb」と略記されることがあり、これをドイツ語風に「ハーベー」と読む者がいる。 また「死亡」はドイツ語で「ステルベン」であるらしく、これを「ステる」と言ったり、「死亡退院」を「ステ退」と呼ぶ者もいる。
何を言いたいのかというと、わざわざ「ワイセ」などと呼ぶぐらいなら、単に日本語で「白」と言えば良いのである。 それを、ドイツ語の、しかも不適切に略した表現を用いるのは、歪んだ形で専門家ぶった、滑稽な様式である。
現代においては、日頃から英語で医学を修めることには一定の意義があるから、会話の中でついつい英語が混ざり、 「転移」という言葉が咄嗟に出ず「metastasis」などという英単語が日本語文の中に混ざるのは、おかしなことではない。 しかし、日頃からドイツ語で学ぶことには意義がないから、ドイツ語を会話文に混ぜ込むのは、単に格好つけているだけである。 また、正しい英語を用いずに、「転移」を「メタ」などと表現するのも、熟練者ぶっているだけである。
これらの表現を用いる者は、言葉を正しく使う意識が乏しく、形だけ取り繕っているのだから、その中身はカラッポである。 みっともないので、やめた方が良い。