これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/06/09 勇気の欠如

スキルアップセミナーなどとして、市中病院が医科学生を招いて講習会のようなことを行っている例は多い。 目的がよくわからないが、たぶん、病院の宣伝としての意味合いが強いのであろう。 学内某所の掲示によれば、某病院は、今夏、心電図判読を目玉企画として、セミナーを行うらしい。 セミナー自体は結構だが、その宣伝文句が、とても気になった。 「『基礎はわかった理論はわかったでも実際の心電図を見ると自信がない』という方が多いのではないでしょうか」というのである。 はたして、心電図の基礎や理論がわかっている学生が、どれだけ、いるのだろうか。

心電図は、Einthoven が理論抜きの経験的診断方法として 1902 年頃に編み出した技法である。 爾来、百余年にわたり、心臓の電気的活動を理論的に説明する試みは精力的に続けられてきた。 しかし、今なお、心電図の形成機序を定量的に説明することに成功した者はいない。 定性的な説明については「説明に成功した」と主張する者がチラホラと存在するものの、明確な合意を得るには至っていない。 すなわち、心電図理論を正しく理解している者は、世界中に一人として存在せず、心電図は、ただ経験に基づく技法として受け継がれてきたのである。 「理論はわかった」などと言っている者は、一体、何をわかっているのか。

たぶん、大抵の学生は「○○がみえる」や、それに準ずるマニュアル本などの、よくわからない説明を納得できないままに受け入れて 「理論はわかった」と主張しているのではないか。 このあたりに、多くの学生の「勉強」方法の問題があるように思われる。 納得できないなら、なぜ、そのように言わないのか。 先生のおっしゃることに、なぜ、そのように素直に従うのか。 若者なのだから、「世の中に、自分の頭脳よりも信頼できるものなど存在しない。 自分が納得できないなら、それは、教科書や先生の言葉の方が間違っているのである。」ぐらいのことを、なぜ、言わないのか。 結果的に自分が間違っていることが判明したら、その時、訂正すれば良いではないか。

この勇気の欠如は、試験に対する姿勢にも表れているだろう。 昨日行われた麻酔科学の試験は、いささか、内容に疑問があった。 全身麻酔における薬剤の投与量を書かせる設問があったのである。 そのようなものは、マニュアルや教科書をみれば良いではないか。専門医試験で問うならともかく、なぜ、学生が覚える必要があるのか。

いわゆる過去問をみて、そうした「理不尽」な出題がなされると知った少なからぬ学生が、それに対応すべく、投与量を暗記したようである。 理不尽だと思うなら、なぜ、無視して試験に臨まないのか。 きっと彼らは、医師になってから、その勇気のなさゆえの苦労をするであろう。


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