これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
新聞などの一般大衆向けの記述において、「血圧を下げる薬」という表現に、しばしば、遭遇する。 また、医学科三年生以上ぐらいの学生でも、これを熟語で表現した「降圧薬」という語などを好んで用いる人がいる。 しかし、この表現が本当に適切である例は、少ない。 「高血圧」というのは、単なる検査所見であって、何らかの生理学的、解剖学的な現象を直接には意味していない。 そもそも血圧は、血管の部位によってそれぞれ異なるので、一概に「血圧」と言った場合、どこの血圧の話をしているのか、わからない。 さらに、心周期について最高血圧を問題にしているのか、最低血圧の話をしているのか、平均血圧なのかも、よくわからない。 従って、高血圧そのものが治療対象になることはない。
血圧とは、血管内の圧力をいう。 これは、位置によって異なる。 厳密にいえば重力の影響などによる例外があるものの、生理的には、だいたい、血液は圧力の高い所から圧力の低い所に向かって流れる。 「血液が流入するから圧が上がる」などという現象は、まず起こらない。 さて、血圧は、技術的には、カテーテルを用いて任意の位置で測ることが可能ではあるが、多くの場合は、上腕の周囲にカフを巻いて測定されることが多い。 世間一般で「血圧測定」という語から想起されるアレである。 これは、上腕動脈の血圧を測定しているものと考えられている。 なぜ上腕動脈で血圧を測るのかというと、単に、測りやすいから、というだけの理由である。 全身性高血圧の長期的変動や、交感神経刺激などによる血圧変動をみる目的であれば、どの部位で測定しても同じことであるから、 測定しやすい部位で測定するのである。 従って、血管収縮などに伴う局所的な血圧の変化は、この上腕動脈の血圧測定ではわからない。 あたりまえのことではあるが、時に、この基本的なことが忘れられてしまうので、注意が必要である。
いわゆる降圧薬は、機序によって三種類に大別できよう。 第一は血管平滑筋弛緩薬であり、血管径を大きくすることで血管抵抗を減らし、血圧低下を来すものである。 ホスホジエステラーゼ阻害薬や、グアニル酸シクラーゼの活性化を促進する硝酸薬などが含まれる。 第二は利尿薬であり、循環体液量を減少させることにより収縮期左室圧を低下させ、結果として血圧を低下せしめるものである。 第三は心筋収縮力を低下させる薬であり、β1阻害薬やカルシウムチャネル阻害薬が該当する。後者は血管平滑筋弛緩薬でもある。 これらは、心筋収縮力低下により収縮期左室圧を低下させるのである。
ひとくちに「高血圧」といっても、病態は多様であり、適切な薬剤を選択する必要がある。 何らかの事情、たとえば褐色細胞腫のために、ノルアドレナリンによる血管収縮作用が亢進して高血圧を来している患者の場合、 治療の目的は「血圧を下げること」ではなく「血管を拡張させること」であるから、α1阻害薬などの血管平滑筋弛緩薬を用いるべきである。 カルシウムチャネル阻害薬もある程度は効くであろうが、原因がノルアドレナリンであるならば、α1阻害の方が合理的である。 もし何も考えずにβ1阻害薬や利尿薬で血圧をコントロールしようとすれば、急性心不全を来し、場合によっては多臓器不全を来して、患者は死亡するかもしれない。
逆に大動脈解離による上腕動脈の高血圧であれば、治療の目的は上腕動脈の血圧をどうこうすることではなく、 「大動脈の解離している部位や、その近傍を機械的刺激から保護すること」であるから、 大動脈圧を下げることが重要である。従ってβ1阻害薬やカルシウムチャネル阻害薬により、心筋収縮力を低下させるのが良い。 利尿薬もよろしいだろう。しかしα1阻害薬を用いても、あまり意味がない。
いわゆる本態性高血圧で全身性に血圧が高い場合は、難しい。なぜ高血圧が心血管疾患のリスク因子になるのか、よくわかっていないからである。 この場合は、たぶん全身の血管抵抗が亢進し、また心筋収縮力も亢進しているのだと考えられており、 この血管抵抗の亢進状態が持続することがまずいのだと推定される。 この観点からは、血管平滑筋弛緩薬により血管抵抗を低下させるのがよろしいと思われる。 こういうことを述べると、エビデンスが云々とか統計的に云々とか言う人がいるが、だいたい、彼らは統計的エビデンスの何たるかを理解していない。
過去にも何度か書いているが、統計的エビデンスは万能ではない。 「一見、理論的に正しそうな主張が、実は間違っている」ということを示すには統計的エビデンスは有用である。 しかし「理屈はよくわからないが、統計的に有効である」という主張は、だいたい、何らかのバイアスの影響をみているだけであり、事の真相を反映していない。 従って、臨床的に用いられるガイドライン等には、理論的根拠のない統計的エビデンスは、あまり記載されていない。
以上のことからわかるように、 「治療として、具体的に何をどうしたいのですか?」と問われた際に「血圧を下げたいのです」と答える人は、 質問者を馬鹿にしているか、そうでなければ、少しばかり思慮が足りない。 血圧そのものが本当に重要な意義をもつ例は、稀だからである。