これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/05/30 5 月 21 日の補足

5 月 21 日に「留年せよ」と書いたことについて、一部に誤解があったようなので、補足する。 私が言っているのは、低学年の頃にさんざん怠けて、然るべき学業を修めてこなかったのであれば、その責任は自身で負わねばならぬ、ということである。 時間が足りないならば、医師になる前に留年してでも時間を作るべきである。自己の怠慢ゆえに患者にリスクや障害を負わせることは、道義的に許されないからである。 留年するのに要する学費や生活費が足りないのであれば、借金してでも賄わねばならない。

これに対し「お前は経済的に恵まれているから、気軽に借金などというのだ」という批判があるだろう。 確かに、私には強力なスポンサー (parents) がついており、非常に恵まれている。 しかし、それが何だというのか。

懐に余裕のある学生が「いざとなったら留年すればいいや」と思って低学年の頃に怠けるのは、個人の自由である。 大学の規則も、最大六年は留年を認めているのであって、これは、何人にも妨げられない、学生としての基本的権利である。日本は、自由の国なのである。 しかし余裕のない学生が「いざとなったら国家試験特化勉強で凌いで医者になろう。それで患者が死んでも、私は困らないし。」と考えるのは、道義的に許されない。 経済的制約から留年できないなら、低学年のうちから、しっかりと勉強しなければならない。 明治や大正、昭和初期の文学作品を読んでも、苦学生は勤勉である、と相場が決まっている。 怠慢が許されるのは、金持ちだけなのである。

「なんという暴論だ。金のありなしで、そんな差が生じて良いはずがない。」という声が聞こえる。 私も、そう思う。だが、それを許すのが資本主義である。だから、私は、資本主義が嫌いなのだ。


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