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2015/05/27 「そんなことは看護師でもできる」

昨年度の臨床実習において、標題のような発言をする医師に出会った。 この発言から、諸君は、一体、何を想像するだろうか。

医師は、看護師に比べ、だいたい 2 倍から 3 倍ぐらいの給料をもらっている。 あたりまえだが、これは、医学科は看護学科よりも入学が難しく、すなわち医師の方が看護師よりもエリートだから、というわけではない。 もちろん、医師免許の方が看護師免許よりも偉いから、というわけでもない。 医学科というのは不思議な場所であって、免許の違いや身分の違いが給料の違いを生んでいる、などと勘違いをしている学生が一定数、存在するらしく、恐ろしいことである。 医師の高給は、当然の権利ではない。それに相応の能力と行為が伴っていない者には、それを受け取る資格がない。いわゆる Nobles oblige である。

看護師は、直接的に患者のケアをすることの専門家である。 一部に例外はあるものの、全体としてみれば、患者とコミュニケーションをとり、その悩みを聴き出したり、その異状をいちはやく察知することや、 清拭その他の身体的ケアを実施することにかけては、看護師は医師よりも優れている。 さらに、熟練の看護師であれば、定型的な患者に対する抗菌薬の選択が云々とか、輸液が云々とかいうことにも通じている。 いわゆるマニュアル診療的な内容であれば、医師に比して遜色ないのである。 その一方で、予め指示されていない内容を、看護師が判断して実行することは禁じられている。 異状のある時は、緊急避難的な場合を除き、医師に報告することが看護師の職務であって、独自の判断で診察や治療を行うことは違法である。

従って、医師に求められるのは、マニュアル的でない部分、広く深い学識に由来する臨機応変の能力である。 標題の言葉は、まさに、そういう意味で発されたものであった。 「教わったことを、教わった通りにやるのは、看護師でもできる。諸君に求められているのは、そういうことではない。」という訓示である。

私は、医科学生が、あまり早いうちから臨床的な知識を蓄え、あるいは臨床的手技の訓練をすることは、あらぬ勘違いの源であり、有害であると思う。 知識を蓄え、基礎的な手技を学ぶことは、比較的容易であり、やれば、誰でもできる。 そして、臨床のことをよく知っていれば、一見、優秀にみえる。 しかし実際には、それは医師として一番に重要なこと、本当に求められることではない。 初期臨床研修医などが同期の友人と話すと「○○の手技をやらせてもらった」などと、「経験を積んでいること」を自慢する例が多いらしいが、これについて 「大事なのは、そういうことじゃないんだよね。」と渋い顔をする指導医は多いのである。

医学科の学生は、だいたい、大学入学時点では、いわゆる優秀な層、エリート連中であった。 しかし卒業する頃には、他の理工系学生と比較すると、抜群に、知性的でない。 このことを公言して憚らないのは、さすがに私ぐらいかもしれないが、密かに思っている人は少なくないようである。 某教員と個人的にお話しした時、彼は「解剖学をはじめとした現状の医学教育は、実にまずい」という意味のことを述べた。 ひたすら丸暗記を要求する「教育」の結果、学生が何も考えなくなる、というのである。 確かに解剖学も、この情報技術の発達した時代において、はたして、本当に暗記する必要があるのか、疑問である。

「では、暗記ではなく、何を勉強するのか」という問いを発する学生は、遺憾ながら、少なくないであろう。 理学部や工学部の人々には理解できないであろうが、医学部では、こういう発想なのである。「勉強」と「暗記」が同義なのである。

医学科の学生は、一冊で良いから、いわゆるアンチョコ本ではない、キチンとした成書を、最初のページから最後のページまで、通読するべきである。 それも、試験に関係なく、また自分の将来の進路にも直接は関係ない分野の本が良い。 ただ教養として、興味本位で、読むべきである。 そうすれば、おのずから、疑問や興味が湧き起こるであろう。それが「勉強」というものである。


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