これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/05/24 アドラー心理学

過日、ある友人から、岸見一郎, 古賀史健 『嫌われる勇気』なる書籍を借りて、サラリと読んだ。一部は飛ばしながら眺めただけであり、熟読はしていない。 同書は、いわゆる「アドラー心理学」の入門書であり、対話形式の軽い文章で表現されているため、素人にも実に読みやすい。 内容的には、少なくとも私にとっては、あたりまえと思われるようなことばかりであり、特に斬新なことは書かれていないように感じたが、 その「あたりまえのこと」が、よく整理されて記載されており、その点では楽しめた。 ニヤニヤ、クスクスしながら読める書物である。

同書の内容で、最も気に入ったのは「安直な優越性の追求」についてである。簡略に述べれば、これは、次のようなものである。 人は誰しも、劣等感を持っている。これは、自分が他人より劣っている、という認識をいうのではなく、 自分にとっての理想像に比して、現在の自分が劣っている、という認識をいう。 この劣等感の解消を目指し、理想に近づこうとして生きるのは、健全な姿である。この意味において、劣等感は、人間の活力の源といえよう。

しかし劣等感は、時として不適切な方向に向かうこともある。 劣等コンプレックスとは、劣等感を、ある種の言い訳に用いるものをいう。 たとえば「私は大学院中退し、33 歳になるまで大学生をやっていたから、出世できない。」などと考えるのは劣等コンプレックスである。 そういう言い訳をする人は、仮に大学院を優秀な成績で修了していたとしても、何か別の言い訳を探してくるに違いない。 33 歳まで大学生をやっていても、それでも、これらか世に出て存分に活躍することができる、と考えるのが健全な精神なのである。 これに対し、優越コンプレックスとは、逆に自分がまるで実際以上に優れているかのように振る舞うものをいう。 「私は地元で最も有名な名門高校の出身で、東海地方随一の名門大学医学部を卒業したエリートであって、年収 2000 万円である。」などと自慢するのが、その典型である。 こういう自慢は、劣等感が歪んだ方向に表出されているのである。 可能であれば、彼らの捻れた精神を正してやりたいが、なかなか難しい。私は、こういう残念な人に対しては「ハハハ、くだらない。」とだけ言って立ち去ることにしている。 この点について、『嫌われる勇気』p.143 には「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざが引用されている。 私の場合、自ら水場を求める馬を導くことはできるかもしれないが、草原にただ寝そべっている馬を水場に連れていくことには、成功していないことになる。 今後の課題である。

さて、不健全な劣等感は、劣等コンプレックスや優越コンプレックスだけではない。 アドラー心理学的には、劣等感は、あくまで自分の理想像との対比から生じるべきであって、他人との対比から生じるべきではない。 周囲より優れた人になりたい、と思っても、実際には、なかなか、なれないものである。 子供の頃は世界的なサッカー選手になりたくて、一生懸命練習しても、結局プロにすらなれず、挫折した、というような例が、これにあたる。 それでも、とにかく特別でありたい、周囲とは違う存在でありたい、という気持ちから、安直な解決にはしる者がいる。 たとえば、いわゆる不良、チンピラになって、反社会的な行動に及ぶのである。 安易な方法で「自分は周囲とは違うのだ」ということを示そうとしているのであり、これを「安直な優越性の追求」という。

この「安直な優越性の追求」の記述を読んだ時、私は「アァ、ナルホド、ソウカ」と思った。 医学の世界でいえば、「自分は医学をわかっていない」という劣等感から、まずは教科書などの成書を読み、次いで実習・実践に臨むのが正道である。 しかし、この正道は、茨が生い茂り、長く、険しく、孤独であり、辛く、厳しいものである。 そして、正道を歩んだとしても、少なくとも学生時代には、あまり客観的に評価できる成果として表れないため、その価値が他人には理解されにくい。 卒業して医師になってからは、正道を進んできたか邪道に逸れたかで、絶大な差が生じるのであるが、そんなことは、学生時代には、とてもわからない。 そこで、少なからぬ学生は「安直な優越性の追求」に逃げるのであろう。 具体的には、試験対策特化型の勉強である。

試験特化型勉強で点を取ることなど、簡単である。 しかも「国家試験で 9 割の得点を得た」とか「米国医師国家試験に合格した」とか、あるいは「CBT や模試で学年一位だった」とかいえば、 客観的にわかりやすい指標なので「すごい」「優秀だ」などの評価を得やすい。 実際の利益にならないことは、薄々、あるいは明確に、認識しているにもかかわらず、楽をして周囲からの賞賛を得ようとするのだから、 これは典型的な「安直な優越性の追求」である。

一部の学生は私に対し、「試験で点を取るのが簡単だなんて、そんなことは、試験で一位になってから言えよ」などと反撃を試みるだろう。 実にくだらない。どうして私が、そんな馬鹿げたことを、しなければならないのか。


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