これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
昨日の記事を途中まで読んだ人の中には、途中部分を読み飛ばし、最後の部分だけみて 「なんだ、結局、結論は一緒じゃないか」と思った人が少なくないのではないか。 しかし私は、その発想が危険だ、と述べているのである。
問題は「何をもって『重症の』大動脈弁逆流症とみなすか」ということである。 昨日の議論によれば、ここでいう「重症」とは、心室内の逆流ジェットや心不全の程度によって決められるのではなく、 大動脈圧波形によって規定される。 たとえ著明な逆流ジェットがあり、甚だしい心不全症状があったとしても、もしかすると、拡張期の始まりには大動脈弁の動きによって引き起こされる 大動脈圧変化が明瞭にみられるかもしれない。 そのような場合には、IABP の結果として左室への逆流も増えるだろうが、冠状動脈の血流も相当に増加することを期待できる。 この場合、IABP がリスクを上回る利益をもたらすことが期待できるから、一概に「禁忌」と判断するべきではない。
ここまで読んだ一部の学生は、次のように反論するであろう。 「中にはそういう例もあるかもしれないが、それは高度に特殊で応用的な症例である。 我々は学生なのだから、まずは基本を身につけるべきであって、そういう特殊例を考慮する必要はない。」
学生は基本を重視するべき、という考えには、私は全面的に賛同する。 だからこそ、生理学や生化学、病理学、薬理学、そしてそれらの背景にある物理学や数学を、キチンと学ぶべきだと主張しているのである。 IABP の適応だの禁忌だのというのは、高度に専門的で応用的な問題であって、決して、基本ではない。
すると、彼らは方針転換して次のように主張する。 「それは、もしかするとそうかもしれないが、今さら、そこまで遡って勉強する時間はない。国家試験に合格せねば何にもならない。」
おかしいではないか。我々は、一年生の頃に物理学や数学を学び、二年生の頃に生理学や生化学を学んだことになっている。 それを自ら放棄しておいて、今さら「勉強する時間がない」などという言い訳は、認められない。 その不始末は、医師として患者の前に立つ前に、自己の責任において、解消しなければならない。 時間が足りないなら、留年するなり浪人するなりして、勉強しなおすべきである。 たかが一年や二年、留年したからといって、何だというのか。