これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/06/30 面接の思い出

医学評論社『ハローマッチング 2015』なる書籍の見本がロッカー室に置かれていたので、少しだけページをめくってみた。実に、つまらない内容であった。 だいたい、この出版社の書籍は、低俗な内容のものが多すぎるように思われる。

私がみた限りでは、同書は「マッチングの面接等において、担当者に気に入られるには、どうすれば良いか」というノウハウ本である。 そもそも、採用担当者に気に入られよう、という発想が、卑屈である。 マッチングは、病院と研修希望者が対等の立場で相手を選ぶ制度であり、双方が「あなたが欲しい」と思った時にのみ、カップルが成立する仕組みになっている。 従って、我々は病院に対し下手に出る必要はなく「もし、あなたが望むなら、あなたの病院で働いてさしあげても、よろしくってよ」ぐらいの気持ちで臨めばよろしい。 もちろん、互いに礼節を保つことは必要だが、卑屈になっては、いけない。

面接といえば、京都大学工学部物理工学科の入試の面接は、今でも印象に残っている。 私は高校三年生の時に東京大学理科 I 類の前期入試で不合格となり、京都大学工学部物理工学科の後期入試は受験を放棄した。 高校を卒業してからは「自宅浪人」と称して遊び呆けるばかりで、ろくに勉強していなかった。両親は、さぞかし、心配したであろう。 父からの圧力もあり、浪人した後は立命館大学理工学部と京都産業大学理学部の、いずれも後期募集を「すべり止め」として受験した。 後者には合格したが、前者は不合格であった。

閑話休題、高校卒業一年後に受けた京都大学工学部物理工学科の前期入試は不合格となり、後期入試で合格・入学した。 この 2002 年の後期入試は、英語、数学、小論文、面接、であったように思う。 私は、もちろん、何の対策もせずに受験した。英語と数学の筆記試験は、まるで神が舞い降りたかのようによくできた気がしたが、勘違いかもしれない。 小論文試験の内容は、ほとんど覚えていないが、難しくはなかったように思う。 小論文の直後に面接だったため、私はてっきり、小論文で書いた内容について受験生同士で討論でもするのかと思ったが、そんなことはなかった。

面接は個人面接であって、前の受験生が面接をしている間、次の者は、誘導スタッフと共に廊下の椅子で待機することになっていた。 私の前の受験生が退室した時、誘導スタッフが「やけに早いな」とつぶやいた。 私は、きっと彼は何も答えられずにスゴスゴと出てきたのだろう、と思い、気が楽になった。

面接室に入ると、三人ぐらいの面接官が並んで座っており、私が座るべき席の机の上には、バネの先に重りがとりつけられた玩具が置かれていた。 試験官が「振り子のように振ってみてください」というので、振ってみた。 「どのような動きをしますか」と問われたので、みた通りに、「振り子の両端の位置ではバネは伸び、思りが真ん中にある時はバネは縮んでいます」というようなことを答えた。 次の質問は「なぜ、そのような動きをするのですか」というものであった。 隣にホワイトボードがあったので、「これを使ってもよろしいですか」と尋ねた後に、図を書いて説明を試みた。 もちろん、私は、こんなヘンテコな物体の運動を考察したことはなかったから、その場で考えながら書いたのである。 詳細は忘れたが、私は、何か明らかに間違った説明をしたために、試験官から「それだったらバネの動きが反対になっちゃうでしょ」と指摘された。 私は、うまい説明が思いつかずに困ったが、先の受験生のことを思い出し「ここで『わかりません』などと言えば、不合格だろう」と考え、 ホワイトボードを眺めたまま硬直した。 すると試験官から「エネルギーは、どうなの」というヒントが飛んできた。 それを聞いた瞬間、私は全てを理解し、サラサラと説明することができたのである。

次の質問は「球を作るには、どうしますか」というものであった。 私が「どのような場所で作っても良いのですか」と問い返すと、「どんな場所でも、何を使っても良い」とのことであった。 そこで私は「無重力空間に水を一滴浮かべれば、ほぼ完全な球になります」と即答した。 面接官は「なるほど」と言い、「では固体であれば、どうしますか」と問うた。 私は最初、「惑星が概ね球形であることを思えば、長い時間をかけて回転させ続ければ、球になるのではないか」などとデタラメを答えたが、 これには「それでは遠心力のせいで、楕円形になるのではないか」と指摘された。 そこで私は、「木材のように軟らかいものであれば」と前置きして、「球」の定義に忠実に従って球を作る方法を述べた。

このあたりで、面接官は気分が良くなってきたらしい。 調子に乗って、「では、小麦粉を練ったようなドロドロしたものだったら、どうしますか」などと質問したのである。 私は直ちに「それは、型に流し込めば良いのではないでしょうか」と答えた。 そして面接官が「その型は誰が……」と言いかけたところで、別の面接官が「それは……」と口をはさみかけた。 しかし、それを抑える形で、私は「固体の球を作れるという前提であれば、それを使って型は作れますので」と述べた。 この点について、礼節の点から意見は分かれるかもしれないが、私が面接官であれば、大事なことは自分の口から言おうとする積極性を評価する。

もう一つの質問は、「これまでの人生で、何か自分なりの工夫をして問題を解決した、というような経験はありますか」というものであった。 私には、すぐに思い浮かぶことがなかったので、小学生時代に自由研究として月の南中時刻や高度を測定した時のことを話した。 理論上、南中時刻は毎日 48 分ずつ遅くなるとされているが、私の測定結果では、遅くなり方には 30 分から 60 分ぐらいの幅があった。 これが測定誤差であることは当時からわかっていたが、これを若干脚色して、 「月の運動は常に一定ではなく、若干、前に進んだり後に戻ったりしているのではないかと考えることで、観測結果を説明した」と述べたのである。 試験官は喜んで「今でも、そう思っていますか」などと聴き、私は「いえ、さすがに測定誤差だと思っています」と答えた。 このあたりで、試験官はワハハと笑い声をあげた。 すると、面接室の扉がガラリと開き、誘導スタッフが顔をみせ、我々に「静かにしてください」と注意したのである。 後から思えば、私の次の受験生は、実にやりにくかったであろう。

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