これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
近年、induced pluripotent stem cells (iPS 細胞)が、世間でもてはやされている。 山中氏がナントカという賞を受けたことなどと併せて、 再生医療への期待が云々、というようなことが、一般向けのニュースで、しばしば言われる。 以前にも書いたが、私は主に宗教的、あるいは思想的な理由から iPS 細胞による再生医療には反対である。 しかし、それを別にして科学的見地からしても、iPS 細胞を再生医療などに結びつけて期待を煽るのは、不適切であるように思われる。
たとえば、過日、iPS 細胞をドーパミン産生細胞に分化させて、それをパーキンソン病患者に移植することでドーパミン補充療法を行う研究について、一般報道されていた。 要点だけ説明すると、現状ではパーキンソン病患者にはドーパミンの前駆体を投与することで症状を軽減しているが、 これだと投与量のコントロールが困難であるため、ドーパミンを産生する細胞を患者の体に植えつけてしまう、という治療戦略である。 厳密には、これは再生医療と呼ぶべきではないかもしれないが、まぁ、似たようなものなので、ここでは細かいことは気にしない。
一つの対症療法として、ドーパミン産生細胞を患者に植える、という発想自体は、合理的であると思う。 しかし、それを実現するために iPS 細胞を用いる必要はない。 この治療法においては、とにかく、患者自身から採取した細胞を用いてドーパミン産生細胞を作れば良いのであって、その際に 一度 iPS 細胞を作成する必要はない。 皮膚だか粘膜だかから採取した細胞を直接ドーパミン産生細胞に化生させるのに比べて、iPS 細胞を経由した方が良いと考える理由はない。 むしろ、多分化能の賦与という本質的には不必要な手順を踏むし、そのために不必要な遺伝子を導入するのだから、理屈としては、不利益が大きくなる。 その一方で、iPS 細胞を経由した方が、素人にわかりやすい印象を与え、なんとなくドラマチックであり、話題性に富み、研究予算を取りやすいものと推定される。 実際、iPS 細胞などの多能性幹細胞を利用しない再生医療を研究している人々も多いのだが、素人にはなんとなく難しい印象を与えるせいか、 マスコミには、ほとんど取り上げられないのである。
たぶん山中氏自身、iPS 細胞が本当に有益だと思って研究したわけではないと思われる。 役に立つとか立たないとかいうことではなく、単に、面白そうだから、やったのであろう。 科学者とは、古来、そういう人種であるし、私も、そういう人間の一人である。 だいたい、科学者が「役に立つもの」ばかり追いかけてしまったら、科学は滅びる。 だが、現代では、特に国立大学が法人化されて以来、研究者をいたずらに競争させる風潮が生じ、「役に立つ」と主張しなければ研究予算を獲得できないらしい。 日本国においては、もはや、科学の芽は失われつつあるのだ。 そこで山中氏らも、やむなく、再生医療云々などという、本当は信じていない看板を掲げたのではないか。
基礎科学研究者達が、生き残るために、科学的良心に背いて世間を欺くのは、科学の灯を守るためと思えば、やむを得ない面はある。 だが、我々医科学生は、医学のプロフェッショナルである。 世間の素人同様に、無邪気に科学者達の「嘘」を鵜呑みにして喜んで良い立場ではない。 各人が、それぞれの思想信条に基づいて、毅然とした態度で医学に向き合う必要がある。