これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/05/15 面積線量

X 線透視とは、カテーテルによる検査や治療を行う際に、X 線写真を連続撮影し、動画としてリアルタイムに画面に表示するものをいう。 カテーテルが患者体内のどこまで挿入されているかを確認する目的で行ったり、心臓の動きをみる目的で行ったりする。 一秒間に何枚も X 線写真を撮影するわけだから、当然、患者はかなり被曝する。 また、油断すると医師もかなり被曝する。 大半の医師は、照射野に自分の手などが入らないよう、すなわち不要な被曝をしないよう、細心の注意を払っており、 撮影した動画に自分の手が映っていると「恥ずかしい」と感じるらしい。 稀に、「CT 透視」が行われることもある。これは、連続的に X 線 CT を撮影し、断面の動画をリアルタイム表示するものである。 これは、普通の X 線透視よりも、さらにたくさん、被曝する。 患者の被曝を最低限にするため、透視に際しては、必要最小限の時間だけ、必要最小限の範囲に限って、X 線を照射する。 また、通常の X 線撮影に比べて、X 線発生装置の出力を低くしているため、「粗い」画像になる。

さて、注意深い学生は臨床実習中に気づいたであろうが、透視の画面には「cGy cm2」のような単位で表される数値が表示されていることがあり、 照射する度に、この値はどんどん大きくなっていく。いったい、この数値は、何を表しているのだろうか。 たぶん、放射線技師にとっては常識なのだろうが、医師の卵にとってはチンプンカンプンであろう。 しかし、多職種連携の観点から、技師の常識について医師が無知では困るので、解説する。

まず第一に、「cGy cm2」という単位をみたら、大いに違和感をおぼえるべきである。物理学的に考えて、意味不明な単位だからである。 最初の `c' は「センチ」であって、これは良い。「センチメートル」の「センチ」であって、100 分の 1、という意味の接頭字である。 次の `Gy' は吸収線量の単位である「グレイ」であり、`J/kg' と同じ意味なのだが、臨床放射線医学における「吸収線量」の意味を正しく認識している学生は稀であろう。

厳密には、吸収線量とは「対象物 1 kg あたりの、放射線から受けたエネルギーの量」をいう。対象物とは、臨床医学においては患者の体であると考えたくなる。 しかし、人体は複雑な構造をしているから、たとえば心臓のあたりを透視した場合であっても、心臓と肺とでは、放射線から受けとるエネルギーの量は異なるであろう。 すなわち「心臓の吸収線量」と「肺の吸収線量」は異なるはずである。 では、血管造影室の画面に表示されている「吸収線量」は、一体、どこの吸収線量を意味しているのか。

実は、臨床放射線医学においては「吸収線量」の定義における「対象物」とは、患者の体ではなく、計器の校正を行った際のファントムである。 装置の設定を行う際に、人体をまねた模型に X 線を照射し、その模型の吸収線量を測定する。 その結果に基づいて、どれだけの X 線を出せば、だいたいどれくらい被曝するかの対応関係を、予め調べておくのである。 そして臨床的には、X 線発生装置の出力から、その予め調べた対応関係を用いて、「ファントムの吸収線量」に換算して画面に表示しているのである。 すなわち、ここでは `Gy' は X 線出力の単位として便宜的に用いられているに過ぎない。

透視の場合、`Gy' の後に `cm2' というオマケがついて `cGy cm2' となっており、これは面積線量などと呼ばれるらしい。 これは、`cGy' 単位で表した X 線発生装置の出力に照射野の面積を乗じたものである。 すなわち、1 cm2 の範囲に、1 cGy 相当の X 線を照射した場合、面積線量は 1 cGy cm2 となる。 ひょっとすると、面積線量は、照射野の広さを加味して患者の被曝を定量的に評価しているようにみえるかもしれない。 しかし、この計算は、物理学的観点からは非常に気持ち悪い。すなわち、何らの物理的実体をも伴わない、無意味な計算であるように感じられる。 というのも、患者の体の中心で厚い部分の「1 cm2」と、指先の薄い部分の「1 cm2」では放射線防護上の意味合いが全然違うし、 さらにいえば、患者の体には当たっていない、ベッドを照射しているだけの部分も同じ「1 cm2」である。 この違いが、面積線量では考慮されていない。 しかも、狭い範囲に高線量を照射するのと、広い範囲に低線量を照射するのでは、同じ面積線量でも、患者への影響は全く異なる。

こういうことを書くと、思慮の浅い医科学生の中には、思考停止して 「そんな細かいことはどうでも良いのだ。面積線量は、そのように定義されているのだから、それで良いのだ。」などと言う。 そうではない。そもそも、患者への影響を適切に評価する方法など、天の神様が決めたわけではないのだから、我々自身が、 適切な理論的・実験的な根拠に基づいて決定するべきなのであって、先人の主張を無批判に受け入れてはならない。

なお、ある放射線技師に問うてみたところでは、面積線量は指標として不適切であるという事実は広く認識されており、 ふつう、モニタリングなどには使用されないらしい。 合理的である。

2015.10.19 脱字修正

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