これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
Ackermanを、書棚に飾っておくだけではもったいないので、毎日少しずつ、読むことにした。 一日に 3 ページほど読み進めれば、初期臨床研修が終わる頃までには通読できる計算である。 この教科書の特に恐ろしいところは、全体の 3 割程度のページ数を参考文献リストが占めていることである。 すなわち、記載内容に少しでも疑問を感じた時には、その根拠となる論文等を容易に検索できるよう、配慮されているのである。 これほど文献リストが充実した教科書を、私は、他に知らない。
また、俗に「ロビンス」と呼ばれる病理学の教科書には三種類ある。 `Robbins Basic Pathology' は最も簡素なものであり、日本語版も出版されている。 これに対し、いわゆる「厚い方のロビンス」とは `Robbins and Cotran Pathologic Basis of Disease' のことである。 これは Standard edition と Professional edition とがあり、具体的に何が違うのかは知らないが、 前者は学生向け、後者は専門家向けのようである。 いつまでも「薄い方のロビンス」を読んでいては、病理学者の卵母細胞として恥ずかしいので、「厚い方」の Professional edition を購入した。 こちらは、一日 4-5 ページのペースでいけば卒業までに通読できる。 実現できるかどうかは、知らぬ。
さて、「多型腺腫」と呼ばれる腫瘍がある。混合腫瘍、すなわち「複数種類の細胞が腫瘍性に増殖する」疾患として有名なものである。 Ackerman によれば、多型腺腫は肺や喉頭などにも生じることがあるらしいのだが、ふつうは、耳下腺良性腫瘍として知られている。 話は逸れるが、多型腺腫以外の混合腫瘍としては乳腺の線維腺腫が知られているものの、これは真の混合腫瘍ではない。 `Robbins and Cotran Pathologic Basis of Disease 9th Ed.' によれば、 そもそも線維腺腫と呼ばれるものの半数程度はポリクローナルな間質の増生、すなわち過形成であって、腫瘍ですらないらしい。 残りの半分、真の腫瘍であるものも、モノクローナルな増生を示すのは間質部分のみであり、乳管上皮は反応性の過形成であるらしい。 すなわち、上述の混合腫瘍の定義に合致しないのである。
多型腺腫の方は、真の混合腫瘍であるといわれる。 唾液腺上皮または筋上皮に由来する細胞が腫瘍性に増生し、しかも部分的に間葉系細胞への分化を伴い、軟骨様組織や骨様組織など 多彩な間質を形成することから、多型腺腫と呼ばれる。 この部分について、Robbins では `Pleomorphic adenomas are benign tumors that consist of a mixture of ductal (epithelial) and myoepithelial cells,' と書かれているが、よく考えると、この記述は不自然である。 `ductal and myoepithelial cells' とは、どういうことか。 細胞が腫瘍性に増殖するためには、ゲノムに相応の変異が生じていなければならない。 腺上皮と筋上皮の双方が腫瘍性に増殖するためには、両者に増殖性の変異を来す必要があるが、はたして、そのようなことが相応の頻度で起こるものだろうか。
これについては、二つの可能性が考えられる。 一つは、Robbins の記載が不適切であり、真の腫瘍は腺管上皮または筋上皮の一方のみであり、他方は過形成性の増殖に過ぎない、という可能性である。 もう一つは、もともとは一方のみが腫瘍であったのだが、他方は反応性の過形成を続けるうちに変異を獲得して腫瘍化した、という可能性である。 どちらもあり得る話だとは思うが、もし後者だとすれば、いわゆるヘテロ接合性の喪失のような現象が細胞レベルで起こっていることになり、興味深い。
もう一つ、多型腺腫には不思議な点がある。 多型腺腫は時に悪性化することがあり、carcinoma ex pleomorphic adenoma とか malignant mixed tumor とか呼ばれる。 この場合、腺癌か未分化癌の形態を示すことが多いらしい。 Ackerman によれば、どうやら、悪性化するのは通常、腺管上皮の部分であるらしい。 多型腺腫には多彩な細胞が含まれているのに、悪性化するのは腺管上皮の部分に限られる、というのである。
これらの観察事実から考えると、多型腺腫の「多型」の部分は、あくまで腫瘍ではなく、反応性の変化であると推定される。 もし「多型」部分も腫瘍であるならば、骨肉腫様、あるいは軟骨肉腫様の悪性腫瘍に変化することがあるはずだからである。 真の腫瘍は上皮部分のみであって、この腫瘍が、何らかの分化誘導シグナルを発しているのであろう。 さらにいえば、真の腫瘍は腺管上皮のみであり、筋上皮は反応性の過形成であろう。 細胞レベルの「ヘテロ接合性の喪失」は、たぶん、起こっていない。