これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/05/09 医科学生の典型像 (2)

昨日の記事の続きである。 もう一つ、医科学生の典型像として、「勉強することと覚えることを同義とみなす」というものもある。 だいたい工学部では、物理定数などは必要に応じて理科年表などで調べれば良い、と割り切り、イチイチ記憶しないのが普通である。 中には、細かな数値を暗記している猛者もいるが、これは鉄道時刻表を記憶するようなもので、オタク的趣味に過ぎない。

さて、昨日書いた内容も含め、こうした「典型像」は、学問において最も重要な資質である 「自分で考えること、疑問を抱くこと」から遠く、かけ離れている。 学生の中には、中学・高校時代に受験対策に特化した教育を受けてきたために、「無駄な疑問」を捨て去り、 よく暗記して、効率的に得点を稼ぐ手法が体に染みついてしまった、という者もいるかもしれない。 そのような勉強法は、ひょっとすると試験で良い成績を修める「優秀な生徒」を生産しているようにみえるかもしれないが、 実際には若い才能の芽を摘み取り、その将来を潰しているに過ぎない。 東京大学に行こうが、医学部に行こうが、そうした勉強を続ける限り、その人は、きっと大成しないであろう。

本来、子供がそういう不正な勉強に手を染めそうになったら、周囲の大人が止めてやるべきである。 幸い、私の身近には、母をはじめとして、そういう優れた教育者がたくさんいた。 しかし現代では、そういう環境は極めて稀であり、むしろ親や教師こそが、子供や生徒を、不正な勉強へと駆り立てる例が少なくないと聞く。 そうした環境で育った人々は不幸である。

今年度になって、複数の友人から「君は人生が楽しそうだな」と言われた。 私はこれまで、そのようなことを言われたことが一度もなかったし、自分が人生を謳歌しているとも思っていなかったので、たいへん驚いた。 彼らの言葉を要約すると、次のようになる。 「大抵の学生は、医学が好きで医学を修めているわけではない。なりゆき上、医学科に来たから、必要だから、やれと言われたから、やっているのである。 しかし君は、必要云々というより、医学を楽しんでいるようにみえる。羨しいことである。」

私は、彼らについて、重大な誤解をしていたらしい。 私は、てっきり、彼らは試験対策勉強にヨロコビを感じ、みずから進んで、好きで、それをやっているのだと、思っていたのである。 ひょっとすると、彼らは、本当は、医師になりたいとも思っていないのかもしれない。 「生きていくためには仕事をしなければならない。特にやりたい仕事があるわけでもないから、それなら、 安定した高収入と社会的ステータスの保証される医師は悪くない仕事である。」というぐらいのことなのかもしれない。 もし、そうであるならば、彼らは、あまりに不幸である。好きでもないことを仕事にし、一日の時間の半分以上を、それに費やさねばならないとは。

もちろん、世間では、好きなことをして金をもらっている人など、少数派であろう。 私は、医師は、その少数派に含まれる幸運な人々であると思っていた。 その点、私は医者を好きでもなければ尊敬もしていないのに医者になろうとしているのだから、医者の中では不幸な部類だと思っていたのだが、 もしかすると、これはトンデモナイ勘違いであったのかもしれない。

しかし、どうにも理解できない点がある。 もし試験対策勉強が大好きではないのなら、なぜ、彼らは、それをやめないのだろうか。 医師国家試験など、受験生の 90% が合格する、極めて緩い試験なのだから、そんなに必死にならなくても、合格することは容易であろう。 それならば、好きでもない試験対策勉強に尽力するのではなく、何か一つ、少しだけでも興味を惹かれる分野を選び、 その分野について、カリキュラムだとか試験だとかは気にせずに、好きなように勉強すれば良いではないか。

5 月 20 日の記事に続く
2015.05.30 標題修正

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