これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/04/30 北陸医科大学 (仮) で初期臨床研修を受けること

私は、北陸地方の某大学病院で初期臨床研修を受ける予定である。 具体的な名前を出すのは、ひょっとすると障りがあるかもしれないので、仮に北陸医科大学と呼ぶことにする。 わざわざ天下の名古屋大学を離れ、京都大学に帰るでもなく、一地方大学に過ぎぬ北陸医大に行くからには、相応の理由がある。

一番の理由は、率直に言えば、私が北陸医大に対する強い思い入れを持っているから、ということである。 四年ほど前に私が人生の岐路で立ち往生していた時、道に光明を灯してくれたのが、北陸医大であった。 その時、人生の少なくとも一時期は、北陸医大で働きたいと心に決めたのである。

もう一つの大きな理由は、本当に私を必要としてくれる所に行きたい、ということである。 名古屋大学や、いわゆる関連病院の大半は、優秀な人が欲しい、よく働いてくれる人が欲しい、ぐらいには思っているだろうが、 彼らの基準でいう「優秀な研修医」などというものは、日本中に、いくらでもいるのである。 というより、たぶん私は、そういう一般的な尺度でいえば中の上か、せいぜい上の下ぐらいの位置付けであって、 喉から手が出るほど私を欲しがるような病院は、たぶん、名大ネットワークの中には存在しない。

北陸医大は、創立以来、ただの地方大学では終わらぬ、という野心を公にし、教育・研究・診療において独自の路線を歩み続けている。 この北陸医大は、「北陸の地方大学」というレッテルを破り捨て、名古屋大学を抜き、京都大学を凌駕して、日本一、あるいは世界一の医学の都となるために、 広く日本中から人材を求め続けている。 そういう場所でなら、後述する私の武器を活かす機会にも恵まれるのではないか。

私は、これまでの長い学生生活でスポンサーから絶大な支援を受けてきた。 このスポンサーは非常に寛大で、私の意向に反対したことは、ただ一度、大学院を辞めて司法試験を考えていた時のみであった。 今回の北陸医大行きについても、多少の懸念は抱いているようだが、明らかな反対の意思表示は受けていない。 この点について、両親には心より感謝している。

この機会に補足しておくが4 月 21 日に 「搦手から奇襲するような方法で進めていた自分の研究を、ひそかに恥じていた」と書いたのは、私の研究が低水準であった、という意味ではない。 詳細は修士課程博士課程の回顧録に書いたが、私自身は、あの研究を誇りに思っている。 あの種の奇襲にかけては私の右に出る者はなく、貴重な武器であると自負している。


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