これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
過日、ある友人から、肺癌に対する放射線療法としては 10 Gy 以上の線量を少数回だけ照射する方式が現代では主流らしい、という話を聴いて驚いた。 MEDSi 『胸部の CT』第 3 版にも「1 回線量 10-15 Gy で 4-10 回照射する方法 (総線量 45-50 Gy) が一般的である」と書かれている。 古典的には、放射線療法は一回あたりの線量を減らして多数回照射するのが良い、とされており、だいたい、一回あたり 2 Gy から 3 Gy の照射量とするのが普通である。 2 Gy が良いのか、2.5 Gy が良いのか、というような議論ならわかるのだが、10 Gy となるとスケールが違う。 いったい、この少分割照射の理論的根拠は何なのだろうか。 同級生の某氏は、「患者の負担を軽くするためではないか」というようなことを言っていたが、 しかし、そのために治療失敗の危険が生じては、元も子もないではないか。
Gy という単位は、J / kg と同じ意味であって、吸収線量の単位である。 すなわち、組織 1 kg あたり 1 J のエネルギーが賦与される照射量を 1 Gy とするのである。 ふつう、放射線物理学では Gy ではなく、諸々の補正を行った Sv を単位として用いることが多いのだが、臨床医学においては、 そうした補正を適切に行うことが困難であるため、人体を水に近似して Gy 単位の吸収線量を計算して用いる。 非常に粗い近似であるが、現在の臨床放射線医学の精度は、遺憾ながら、その程度なのである。 なお、工学部の観点からすれば 1 Gy というのはとんでもなく大きな線量であって、実験などではふつう μSv などの単位が用いられる。 放射線治療とは、単位が 100 万倍、違うのである。
一回あたりの照射量を減らして多数回の照射を行うのは、次のような理論的根拠に基づく。 基本的に、細胞は放射線により傷害を受けても、ある程度は「回復」する。 この「回復」の実体は、たぶん、損傷した DNA の修復や、変性した蛋白質の分解および再生であろう。 しかし癌細胞では、こうした回復に関係する遺伝子も変異していることが多いため、だいたい、正常な細胞よりも回復が遅れる。 そのため、一度照射を行った後「正常の細胞はある程度回復したが癌細胞はあまり回復していない」ような頃合いを狙って、次の照射を行うのである。 これがだいたい、一日一回 2-3 Gy、と考えられている。 本当は平日だけでなく休日も照射した方が良いのかもしれないが、現状では、ふつう、週に 5 回の照射が行われる。 以上のことから、一回に 10 Gy を少数回の照射では、癌細胞は駆逐できるかもしれないが、正常組織への傷害も大きくなるように思われる。
そこで少し調べてみると、Int. J. Radiation Oncology Biol. Phys. 52 1041-1046 (2002) に、次のように記されていた。
The advantages of hypofractionated radiotherapy (RT) for lung tumor are a shortened treatment course that requires far fewer trips to the clinic than a conventional program and the adoption of a smaller irradiated volume allowed by greater setup position. The disadvantages are the uncertain effects of altered fractionation and the theoretical risk of worsening the normal tissue/tumor tissue ratio through the use of a high dose per treatment session.
要するに、上述の同級生の某氏が言った通りらしいのである。 定位照射、すなわち腫瘍周囲の狭い領域を正確に狙って放射線照射することが可能な施設は限られているため、 患者は、遠方の医療機関まで出向いて照射を受けねばならないことが多い。 そのため、照射回数を可能な限り減らすことが患者の身体的・経済的負担を軽減する意味で重要なのである。 その一方で、治療効果に関していえば、一回線量を増やして照射回数を減らすことは、理論上よろしくないので、兼ね合いが大切である。