これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/04/25 リンパ節転移

癌は、しばしば、リンパ節に転移する。 たぶん、原発巣からリンパ管を通ってリンパ節に移行し、そこで定着するのであろう。 この経路を特に意識する場合には「リンパ行性転移」などと表現するが、実際には、そのような単純な経路による転移であることを証明した人は、いないと思う。

リンパ節に転移があるかどうかを調べるには、コンピューター断層撮影 (Computed Tomography; CT) などでリンパ節の腫大をみるか、 生検を行って病理組織学的に検索するのがふつうである。 ただし、後者の生検は侵襲性が高いため、よほど強く転移の存在を懸念している場合にしか行われない。 このため、臨床的には、リンパ節腫大の有無を CT で検索することが多い。

さて、CT におけるリンパ節転移を疑う所見というのは、基本的には、短径 10 mm 以上程度の腫大をいうらしい。 そのような大きなリンパ節がみられない場合には、CT 上ではリンパ節転移を疑う所見はない、ということになる。 時に、これを「臨床上はリンパ節転移はない」というように表現する者がいるようである。 もちろん、これは不適切である。

リンパ節が腫大するのは、リンパ節の中で腫瘍細胞が増殖した結果にすぎないから、転移してから日が浅いうちは、当然、リンパ節は腫大していない。 従って、CT 上でリンパ節が大きくみえない、という事実は、リンパ節転移の存在を否定する根拠にはならない。 実際、組織学的には、小さなリンパ節の中に腫瘍細胞が巣状に増殖していることは稀ではないし、 さらには、HE 染色では腫瘍細胞とわからず、免疫染色を行ってはじめてリンパ節転移を認識できるような例まである。 リンパ節が大きくないからといって、「リンパ節転移はない」などとは、恐ろしくて、とても言えない。 従って、私はカルテ等に記載する際、必ず「『明らかな』リンパ節転移は認められない」などの表現を用いるようにしている。

三年生以上の医学科生であれば、上述のようなことは常識であって、「何をいまさら」などと思う人もいるかもしれない。 中には「そんなことはわかった上で『臨床上はリンパ節転移はない』と述べているのであって、 言外に『組織学的にはリンパ節転移もあるかもしれない』という意味を含んでいるのだ」と主張する人もいるだろう。 気持ちはわからないでもないが、まるで「組織学的所見は、臨床ではない」とでも思っているかのような表現である。 「臨床」という言葉の指す範囲が、狭すぎはしないか。 いったい、血液検査や尿検査は臨床であるが組織検査は臨床ではない、などという考えは、どこから生じたのだろうか。 欧米では、臨床検査医学 (clinical laboratory medicine) といえば、日本でいう病理検査や検体検査、生理学的検査などを併せたものをいうらしく、 つまり組織学的診断も、あたりまえに臨床の一部として扱われているのである。 ということは、「組織診断は臨床ではない」というような偏見は、日本独自のものであるといえよう。

たぶん、そういう偏見に基づいて「臨床的にはリンパ節転移はない」などと言う人は、半ば無意識に、次のような考えを持っているのではないか。 「組織学的には転移があるかもしれないが、そんなことは臨床的に知りようがないのだから、仕方ないではないか。 組織学的所見で云々するのは、後だしジャンケンのようなものである。 CT でみつけられないものは、どうしようもないのだから、発見できなくても私の責任ではない。それとも、全例でリンパ節生検をやれとでも言うのか。」

もちろん私は、全例で生検せよ、などと言っているわけではない。 「発見できなくて申し訳ありません」と患者に詫びる気持ちを抱いているか、 また、 「既に小さなリンパ節転移があるかもしれない」と恐れながら「画像上は転移を認めない」と診断しているか、ということを問うているのである。 みつけられないものは仕方ないが、それは検査を行い読影をする我々の、医学の至らなさが原因なのである。 医学の限界は、天与のものではなく、自然の摂理でもなく、単に、我々の研究が不足していることによって生じているに過ぎない。 すなわち、臨床的に転移を検出できないのは、法的にはともかく、道義的には、我々の責任なのである。 「研究には興味がない」などと言い放つ学生が稀に存在するが、極めて無責任である。 医療の根本である「患者を思いやる心」が決定的に欠如しており、医師としての資質を欠くと言わざるを得ない。

もちろん、放射線科医などの専門家は、そうした画像診断の限界を熟知し、悔しく思い、その技術開発に日夜、尽力している人が大半である。 私が指摘したいのは、そうした専門家と、眼前に存在する関門のことしか考えない学生との間の、温度差である。


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