これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
本日のテーマは、放射線に関する与太話である。 名大医学科には、なぜか、学術的与太話をしてはいけないかのような風潮があるように感じられる。 しかし科学の偉大な発見は、しばしば、こうした与太話から生じるものであるから、我々は積極的に学術的雑談に興じるべきである。
悪性腫瘍などに対し、X 線照射による放射線治療を行うと、ほぼ必ず、放射線皮膚炎を来す。 これは、深部にある悪性腫瘍の細胞を死滅させるほどの線量を照射すれば、表面の皮膚も相当に被曝することを避けられないからである。 では、なぜ、皮膚に放射線を当てると、皮膚炎が生じるのか。
詳細はよくわからないのだが、「乳癌の臨床, 29, 579-584 (2014)」や `Braun Falco's Dermatology 3rd Ed., pp 617-618' の記述に 私の想像を加えて解釈すれば、典型的な放射線皮膚炎は、次のようなものであるらしい。 まず照射した 2-3 日後から、免疫系が刺激されたことによる炎症反応が生じるらしい。 また、基底細胞層の表皮幹細胞も傷害されるため、表皮細胞のターンオーバーに障害を来し、びらんや潰瘍を生じることがある。 そして数ヶ月が経つと、いわゆる晩期障害として、脂腺や汗腺の障害による症状、たとえば皮膚の乾燥を来す。 真皮も、たぶん慢性炎症の結果として、脂肪組織の減少と繊維化を来すらしい。
上述のように、幹細胞傷害による症状に先行し、皮膚炎は生じるのである。 この炎症は、部分的には、間質や細胞膜の蛋白質が放射線により変性し、あるいは表皮内で壊死が生じた結果として、惹起されているのであろう。 しかし、それだけだろうか。
ここで想起されるのは、急性の移植片対宿主病 (Graft-Versus Host Disease; GVHD)において皮膚傷害を来す機序である。 明確にはわからないが、急性 GVHD の皮膚症状の背景には、慢性的に軽度の皮膚炎が生じていることがあると考えられる。 急性 GVHD では、この炎症が亢進することにより、結果的に皮膚傷害を来すらしいのである。 私は、放射線は急性 GVHD と同様に、生理的な炎症反応を亢進させることにより皮膚炎を来すのではないか、と考えた。
そこで、放射線皮膚炎の組織像を `McKee's Pathology of the Skin 4th Ed.' で調べると、どうやら急性 GVHD とは大きく異なるらしい。 放射線皮膚炎の急性期では、表皮に浮腫や壊死、アポトーシスが生じ、基底細胞層には水腫様変性がみられるらしい。 また、真皮の血管では、しばしば血栓がみられるという。 慢性期には過角化や錯角化, 血管の拡張などを来すらしい。 これに対し、急性 GVHD では異角化や、リンパ球の表皮内細胞浸潤、衛星細胞壊死などを来す。
この急性 GVHD と放射線皮膚炎の組織学的所見の相違を考えると、どうやら放射線には、直接的に炎症を惹起する働きはないものと想定される。 また、有棘細胞の壊死は、それ自身が放射線に感受性であるというより、虚血性の変化とみた方が良いだろう。 すなわち、放射線皮膚炎においては、炎症が起こるから細胞が死ぬのではなく、細胞が死ぬから炎症が起こるのだ、と考えられる。
結論だけみれば「まぁ、そりゃそうか」と思うような平凡な話であるが、与太話とは、たいてい、そういうものである。