これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
名大医学科 2016 年 3 月卒業予定の我々の場合、臨床実習のスケジュールは、次のようなものである。 まず五年次の 4 月から、一週間ないし二週間毎に、病院のほぼ全ての診療科や部門をまわり、実習を受ける。 産科婦人科などは単一部門で二週間であるが、病理部・臨床検査部・輸血部は、三部門合わせて一週間であるなど、期間にはばらつきがある。 そして六年次には、二つの診療科を選び、七週間ずつの実習を受ける。 夏頃には臨床実習は全て終わり、それから卒業までは、公式にな何の講義も実習もない。
この最後の半年間の位置づけが、まず、よくわからない。 工学部や理学部などであれば、だいたい卒業直前の一年程度の期間は研究室に配属されて、卒業研究に従事することが多いから、講義や実習がないことは理解できる。 しかし、名大医学科には、六年生を研究室に配属したり、卒業論文を書いたりする制度はない。一体、何をするための半年間なのだろうか。 理解できない。
いつからあるのかは知らないが、六年次の臨床実習に関しては、海外留学によって振り換えることもできる。 欧米などの一部の大学と単位振り換えのようなものを提携しており、そちらで三ヶ月間の実習を受けることで、名古屋大学で実習を受けたのと同等の扱いがなされるのである。 海外に留学することは、ファインマンも言った「事物の多様性を知ること」という意味で、有益であろう。 ただし、時期というものはある。 留学先の言語に熟達し、たとえば日本語と同程度によく英語を操る学生ならば、今のうちに留学することは、大いに有益であろう。 しかし、多くの学生は、いささかアヤシゲな英語を携えて現地に赴くわけである。 それでも、医学をよくわかっている人であれば、言葉の壁は問題にならない。 言葉の微妙な部分がわからなくても、医学という共通言語があればコミュニケーションには困らないし、先方も、 こちらが医学の達人であるとわかれば、我々の言うことを必死に聴いてくれるからである。 だが、もし、英語も医学も中途半端な学生が海外留学しているならば、彼らは一体、むこうで何を学んでくるのだろうか。
「何もしないよりは、留学する方が良いだろう」という意見や、「米国の学生はプレゼンテーションなどがうまいから、それは勉強になる」などの意見を聴いたことがある。 しかし、日本に残った我々は何もしていないのではなく、名大病院で実習などを受けているのだから、比較対象がおかしい。 というより、そういう発言をする人は、「私は名大病院の実習ではサボってばかりで、何も勉強しなかった」と告白しているに等しい。 また、プレゼンテーションの類は、わざわざ留学して学ぶようなことではない。論外である。 日本で勉強する機会を自ら放棄していた人が、海外に行ったからといって、いきなり勉強するとは考えにくい。
要するに、留学するには、まだちょっと、早いのではないか。もう少し、医学をキチンと学んで、一応は一人前の医師になってから、行くべきではないか。 留学をすることは無条件にエラいのだ、と、勘違いしてはいまいか。 基礎・基本をおろそかにして、いたずらに権威にすがる名大医学科の風潮は、ここにも表われているように思われる。
実は、名大医学科に、こうした基本を疎かにする風潮があるという事実は、私にとっては驚きであった。 大学院時代に学会などで話を聴いた限りでは、名大工学部の人々は、学生も含め、基礎を重視した系統的な学識に基づいて、堅実な研究をする、という印象があったからである。 今だから書くが、私は、原子炉物理学の基礎的な学識が不十分であるにもかかわらず、搦手から奇襲するような方法で進めていた自分の研究を、ひそかに恥じていたのである。 私が名古屋大学に来たのは、そうした名大への憧憬があったから、というのも一つの理由であった。 しかし、鶴舞大学と名古屋大学では、いささか水が異なるのであろうか。