これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
今日、所用があって書店に赴くと、文藝春秋の、標題のような特集が目にとまった。 また近藤誠の類か、と思ったのだが、私は近藤氏のことが嫌いではないので、立ち読みしてみた。 この特集は、何人かの医療関係者が書いた記事の集合であって、特にどうということもないものが多かったが、 順天堂大学大学院の白澤卓二教授の「医学部エリートが病気を作っている」という記事が気になったので、結局、購入した。 文春の思惑にはまったような気がしないでもないが、医療や医学教育の現状を批判し、改革を求めるという意味においては、我々は同志といえるから、 まぁ、カンパのつもりで金を払うことは惜しくない。
白澤氏の主張は、端的にいえば先入観や利権構造に基づいて漫然と診療することを批判しているものであり、大筋では妥当である。 しかし、科学的観点からいえば論理が不適切な部分があるように思われるので、指摘する。
まず 241 ページに「世間で行われている健康診断が『元気なからだに戻す』という医療の本質からいかにかけ離れているのか」という表現があるが、 これはおかしい。記事全体を通してみれば、白澤氏は、予防医学の重要性を主張している。 予防医学は「からだが元気でなくなることを未然に防ぐ」ことが目的なのであって、その立場からは「元気なからだに戻す」ことは医療の本質ではないはずである。 たぶん筆がすべったのだとは思うが、白澤氏は、医療の本質を、どのように考えているのだろうか。
次に、氏は健康診断などにおける検査結果について、コレステロール濃度などに一喜一憂することを批判している。 これは、世間一般の素人や、不勉強な学生を批判しているのであれば妥当であるが、医学的にはあたりまえのことを言っているに過ぎない。 たとえば血中コレステロール濃度が慢性的に高い状態を「高コレステロール血症」と表現するが、これは単に「血中にコレステロールが多い」という所見を 表現しているだけであって、疾患でもなければ症候でもない。 疾患でも症候でもないのだから、これは病気ではない。 基準値から外れていること自体を病気であるかのように考えることは、臨床検査医学の観点から不適切なのであって、その点を指摘して欲しかった。
糖尿病に関しては、書いていることが無茶苦茶である。「患者さんの中には、(ヘモグロビン A1c の) 数値が九〜一〇でも元気に畑で働いている人がいます。」と 書く一方で、「糖尿病に有効なのは、食欲をコントロールして、とにかく糖のもとになる炭水化物を制限することです。 長野で元気に畑仕事をしている患者さんたちは、皆さん食事療法だけで元気に過ごしています。」と書いている。 白澤氏ほどの人物が、いかなる深謀遠慮のもとに単位を省略したのかは不明であるが、その点はここでは議論しない。 この患者がよほど特殊な体質であるなら別だが、HbA1c 分画 が 9-10 % にもなるならば、まず間違いなく、この患者は慢性的な高血糖状態である。 白澤氏の診察時に血糖値が低いのであれば、たぶん、前日の昼頃から絶食した上で受診しているのだろう。 白澤氏に叱られるのが怖いのだと推定される。 要するに、この患者は食事療法による血糖コントロールに失敗しており、糖尿病による血管障害は着実に進行しているのだが、適切な治療を受けていないのである。 糖尿病では、一応、末梢神経障害、網膜障害、腎障害が典型とはされているが、実際には心臓病や脳卒中のリスクも高まるらしく、 失明したり腎不全になったりする前に死亡する人が多いらしい。 この患者も、今は無症状だろうが、症状が出るとすれば、いきなり心筋梗塞や脳梗塞を来すであろう。そうなってからでは、遅いのである。 しかし、そうなっても「まぁ、年だったからね」などと言われ、実は糖尿病のせいで死んだのだということを認識しないまま、火葬されるのである。
また、コレステロールについて、高コレステロール群と正常群との間で「心臓病疾患及び他の原因での死亡調査では、 二つの集団で有意な差は見られませんでした。つまり、コレステロール値と心臓疾患の相関関係は見出せなかったのです。」とあり、 肺癌について、胸部レントゲン検査を受けた群と受けなかった群との間で「十年が経過して死亡率を比べてみると、どちらのグループも死亡率は同じでした。」とある。 馬鹿らしいとは思ったが、一応、元の論文のアブストラクトだけ確認した。
心臓の方は 1994 年に発表された論文 (JAMA, 272, 1335-1340 (1994)) である。そもそも、こんな古い論文を、なぜ引用したのか、理解できない。 その後の追試やメタ解析などは行われていないのだろうか。単発の論文で出ただけの結果であれば、信憑性は低い。 そして、この論文でも、結論として「有意な差はない」としか言及されていない。 「有意差がない」という統計学的な表現は、一般的な日本語の感覚からは理解し難いかもしれない。 これは「差があるのかないのか、わからない」ということだけを意味する表現であって、「どちらのグループでも同じだ」ということを示唆するものではない。 「どちらのグループでも同じ」と言いたいのであれば、もっと複雑で、ややこしい検証をしなければならないのである。 このあたりのことを正しく理解せずに、デタラメを学生に教える医師はかなり多いので、注意が必要である。 詳細は、機会があれば後日、書くかもしれないが、わかっている人にとっては当然すぎる内容なので、あまり意欲が湧かない。
2011 年に報告された肺癌の論文 (JAMA, 306, 1865-73 (2011)) の方は、もっとひどい。たぶん、白澤氏は、キチンと読まなかったのであろう。 こちらも「有意差はない」という結論なので、「死亡率が同じであった」とは言えないことは当然である。 さらに、白澤氏は「レントゲン検査を実施したグループでは、当然のことながら肺がん患者がたくさん発見されました。」と書いているが、 元論文には、そのような記載はない。 発見された肺癌の数についても、有意な差がなかったのである。 この報告を根拠に胸部 X 線による健康診断を批判するならば、「レントゲン検査では肺癌を発見することはできない」と言わなければならない。 結局のところ、肺癌は比較的稀な疾患なので、この調査の規模では統計誤差に埋もれてしまい、意味のある結論を得ることができなかった、というのが真相である。 しかも米国では、心臓病や脳卒中で死ぬ人が多く、肺癌で死ぬ人は比較的少ないから、日本とはだいぶ、事情が異なるであろう。
とはいえ、白澤教授は、医学教育を改革し、新しい医療を開拓しようとする野心家であり、立派な人物である。