これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/04/18 教科書を覚える

他大学がどうかは知らないが、少なくとも名大医学部医学科では、多少の医療技術の訓練は行われている一方で、医学教育は行われていない。 確かに、講義や実習などで、一部の教員は学術的なことを説諭する。 特に病理学の某教授は、医学とは何か、病理学とは何か、という問題について格調高い講義をし、私はいたく感銘したのであるが、 遺憾ながら、大半の学生の心には届いていないものと思われる。 というのも、名大医学科では、医学以前の、学問に対する姿勢、学ぶとはどういうことか、という点が教育されていないらしいのである。

学問に対する根本的な姿勢の問題は、学生の多くが教科書や、いわゆるアンチョコ本の暗記に力を注いでいる、という事実に表われている。 私は、学習机の前に愛用する教科書をズラリと並べているが、これはコレクションを眺めて悦に入る目的だけではなく、 必要に応じて検索する際の利便のために行っている。 稀に、私のコレクションをみて「あいつは、こんなに膨大な教科書を勉強し、知識を蓄えたのか」などと勘違いする人がいるらしいが、とんでもない。 私は教科書に記されている知識はほとんど記憶していないし、だからこそ、必要に応じて調べるために、手の届く場所に置いているのである。

2002 年から 2006 年にかけて、私は京都大学工学部の学生であった。 少なくともこの頃には既に、たぶん実際にはもっと以前から、工学部では「知識を蓄える行為にはあまり価値がない」という認識が広まっていた。 知識などは、必要に応じてコンピューター等を用いて調べれば済むのであって、人間の不確かな記憶などに頼るべきではない。 むしろ人間は、コンピューターには不可能な柔軟な思考、いわゆる「知恵」を使う仕事に専念するべきである、というのである。 医学の場合においても、ある種の救急医療など極めて限定された高度に専門的な分野を除けば、 文献やコンピューターで調べる時間すら惜しんで診療せねばならぬ、という状況は少ない。 知識は、ヒトの頭脳に納めなくとも、適切なコンピューターの補助に頼れば良いのである。

世界的には、知識を軽視する考えは、もっと前から普及していたようである。 私が歴史上二番目に敬愛する科学者であるリチャード・ファインマンは、1918 年の生まれであり、 自伝『ご冗談でしょう、ファインマンさん』の中で、愉快なエピソードを綴っている。 彼は物理学者であるが、科学や社会について広い関心を持っており、大学院生時代に生物学の講義に参加したらしい。 もちろん彼は生物学についてはシロウトであったのだが、 ネコを使った実験についての論文を読み、他の学生に説明する機会があった。その時の記述を引用する。

このテーマで僕が話をする番がやってきた。僕はまず黒板にネコの輪郭を描き、諸筋肉の名をあげることからはじめた。 全部まで言わないうちに、クラスの連中が、「そんなもの皆わかってるよ」と言いだした。
「ええ?ほんとか?」と僕は言い返した。 「道理で四年間も生物学をやってきた君たちに僕がさっさと追いつけるはずだよ。」 それこそネコの地図を一五分も見ればわかることを、いちいち暗記なんかしているから時間がいくらあっても足りないのだ。

ここでいう「ネコの地図」とは、「ネコの解剖図譜 (アトラス)」のことである。彼は `atlas' という業界用語を知らなかったために、 `map' というような表現をして図書館司書に笑われた、という経験があり、この表現を冗談めかして使っているのである。

もう一つ、彼の学部時代の話も、紹介しておこう。このとき彼は、マサチューセッツ工科大学 (Massachusetts Institute of Technology; MIT) の学生であった。 MIT は、工学系においては米国で最も有名な大学であり、まぁ、世界的にも最高峰ということになっている。 もちろん、これには異論もあって、私の考えでは Kyoto University が世界一である。

学部生として MIT にいるころ、僕は MIT が非常に気にいっていた。こんな良いところはほかにないと思いこんでいたから、大学院ももちろん MIT と心に決めていた。 ところがこれをスレーター教授に話したところ、言下に「ここの大学院には、いれないよ」と言われた。
「ええっ?」と僕がびっくりすると、教授に「何で MIT の大学院に入りたいのかね?」ときかれた。
「何しろ MIT は理系では全国一ですから。」
「君、ほんとうにそう思うのかね?」
「もちろんです。」
「そうだろう。だからこそ君は、ほかの大学院に行くべきなんだよ。外の世界がどんなものか見てくる必要があるからね。」

そして彼は結局、プリンストンの大学院に行き、そこで MIT の「金ピカサイクロトロン」とは異なる、素晴らしいサイクロトロンに出会った。 このあたりは、引用するには長いので割愛する。

MIT は確かにすばらしかった。しかしスレーター教授が僕に他校の大学院をすすめたのは賢明だったと思う。 そしてこの僕もやっぱり同じことを学生たちに忠告している。 若者はすべからく広い世界に出て、外を見てくることだ。事物の多様性を知ることは大切なことだからだ。

私が何を言いたいか、敢えて明記はしないが、少なくとも名大医学科の関係者にはわかっていただけると思う。

2015/05/07 語句修正

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