これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/06/28 臨床医による病理部批判

以前、ある病院で、複数の臨床医から、病理解剖のあり方についての不満を聴いたことがある。 簡潔にいえば「病理部の奴らは怠けている」「なんで、あんなにエラそうなんだ」という内容である。

その病院では、原則として病理解剖は平日または土曜日の日中に行うことになっている。 たとえば患者が土曜日の夜に死亡し、遺族から解剖の承諾を得た場合、月曜日の朝を待ってから解剖することになる。 人は、死亡するとただちに死後変化が始まるため、解剖までの時間が長ければ長いほど、生前の状態はわかりにくくなる。 従って、診断の観点からいえば、死亡した直後に解剖するのが理想的である。 臨床医、特に ICU や救急部は、24 時間 365 日の体制で診療を行っている。 そうした人々からすれば「土曜日の晩に入院した患者を、月曜日の朝まで待たせてから診療する」などという姿勢は理解できまい。

また、その病院では、病理解剖に臨床医が立ち会い、解剖所見を記録する係を務めるのが慣例であるらしい。 これも、忙しい臨床医からすれば「雑用を押しつけられている」と感じられ、大いに不満であるらしい。

もちろん、病理部側にも、それなりの言い分はあるのだろう。 しかし病理部と臨床医の間で軋轢が生じていることは確かであり、健全な診療体制であるとはいえない。

近年、全国的に病理解剖の件数が減少傾向にあるという。 病理解剖には、主に三つの目的がある。第一は、患者の死因や病態を明らかにし、今後の診療の改善につなげる、というものであり、患者に対する最後の医療行為である。 第二には、病理医の教育、という意味がある。 そして第三には、解剖を通して得られた所見を医学研究に活かし、新しい診療の道につなげることである。 これらの目的は、他の手段で代替不能なものであるから、少なくとも一定数の病理解剖件数は保たねばならない。 本当は、死亡した患者は全例、病理解剖した方が良いぐらいである。 しかし、上述の理由をみればわかるように、病理解剖を行いたいというのは医者側の都合であって、患者や遺族には、 「本当の死因を知りたい」という場合を除いては、あまり利益がない。 「解剖」という行為に対して抵抗を感じる例も多いであろう。

遺族から病理解剖の承諾を得るに際しては、主治医の協力が不可欠である。 主治医が病理解剖に消極的であれば、遺族が首を縦に振ることは、まず、ないであろう。 従って、病理解剖のあり方については、病理医と臨床医の間で、互いに不満のない良好な関係を維持せねばならぬ。

他にも、病理解剖について思う所は多々あるが、あまり書くと支障が生じるかもしれないので、とりあえずは、このあたりで止める。


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