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2015/04/11 「疾患」の定義

4 月 14 日の記事も参照されたい。

「疾患」という概念を正しく理解している学生は、少ないのではないか。 これと紛らわしい術語としては「疾病」「症候」「症候群」「障害」などがあるが、それぞれ異なる概念である。 これらを混同すると、時に著しく不適切な治療を行い、患者に多大な害を与える恐れがあるから、こうした術語の使いわけは重要である。 医学書院『医学大辞典』ですら「疾患」と「疾病」を区別していないことは遺憾である。 私の手元にある書物の中で、これらの区別を最も明確に述べているのは、医学書院『標準精神医学』第 5 版である。 精神医学においては言葉の定義が極めて重要であり、名古屋大学の某教授も、この点は、さんざん、講義の際に強調している。

『標準精神医学』によれば、疾病とは「本来の生理的機能が働かなくなり, その結果生存に不利な状態」をいう。 俗な表現をすれば「体の調子が悪いこと」あるいは「健康でないこと」全般をいうのであって、実に意味が広い。

次に「疾患」とは、同書によれば「特定の原因, 病態生理, 症状, 経過, 予後, 病理組織学的所見がすべてそろった場合」をいう。 すなわち、症状や経過が同様であっても、原因が異なるならば別の疾患であるし、原因が同じでも経過や組織学的所見が異なれば別の疾患である。

「症候」とは、「症状」と「徴候」の総称である。「症状」とは、患者が自覚する感覚であって、身体の異常を反映するものをいう。 これに対し「徴候」とは、第三者が観察して得られる身体所見をいう。

『標準精神医学』によれば「症候群」とは「複数の特定症状でいつも構成される状態」をいうが、これは「複数の特定症候」の誤りであろう。 単一疾患かどうかは不明であるが、似たような疾患群と考えられ、一つのグループとして扱うのが適切と考えられるものに対する便宜的な区分である。 ただし、単一疾患であることが明らかになっても、歴史的経緯から「症候群」と呼ばれ続ける疾患は少なくない。

「障害」とは、疾病ではあるが、その基礎にあるはずの臓器障害が不明瞭である場合に「半ば苦し紛れ的に」用いる名称である。 この言葉を診断名として患者に告げるとき、心ある医師ならば、自らの診断能力の乏しさ、現代医学の未熟さに、無念の思いを募らせるであろう。

たとえば「肺炎」は、疾患ではなく症候群である。 原因は感染であったり、膠原病であったりと多様であり「特定の原因」に依らないからである。 これに対し「レジオネラ肺炎」は疾患である。レジオネラ属菌感染を原因とし、「疾患」の定義に合致する。 「細菌性肺炎」と表現する場合には際どい。「レジオネラ感染だろうが Staphylococcus aureus 感染だろうが細菌感染には違いなく、 同一の原因といえる」と主張するならば、「疾患」だと考える余地がなくはない。 しかしレジオネラ感染と S. aureus 感染では、典型的には経過や治療法が異なるので、「細菌性肺炎」も症候群とみるべきだろう。 「間質性肺炎」も、「間質を炎症の主座とする肺炎」というだけの意味であって、原因は極めて多様であるから、やはり症候群である。

疾患と症候群を混同すると、何が起こるか。 もし「肺炎」を疾患と誤解してしまうと、肺炎患者をみた凡庸な医師は「肺炎を治療するには、どうすれば良いか?」と考えてしまう。 しかし本来、治療の対象は「疾患」とするべきである。「症候群」に対する治療は姑息的なものにならざるを得ず、大抵、根治には至らないからである。 それなのに症候群である「肺炎」を治療対象と認識してしまうと、医学的に妥当な論理的思考が失われ、不適切な経験的治療が行われる恐れがある。 たとえば、肺炎の多くは感染性肺炎であって、βラクタム系抗菌薬が効くことが多い、という中途半端な知識に基づいて、セフェム系抗菌薬を処方するかもしれない。 しかし、実は患者は全身性紅斑性狼瘡 (Systemic Lupus Erythemathosus; SLE) であって、抗菌薬は無効であり、グルココルチコイドを投与するべきであった、 ということが起こり得る。 もちろん、疾患を特定できていない状態で治療を開始することが悪いとは限らないが、「何の疾患であるかは明らかではない」という認識で慎重に治療開始するのと 「肺炎が原因疾患である」と誤解して治療開始するのでは、SLE に気づく早さが全く異なるであろう。

「何の疾患であるか診断する」ということは、「患者の疾病の原因は何なのか、患者の体の中で何が起こっているのか」を推定することと同義である。 最低限、疾患と症候群は区別して認識しなければ、疾病の原因を究明しないままに、不適切な対症療法を行うことになりかねない。

2015/04/11 日付修正
2015/05/07 「徴候」を「症候」に訂正 (恥ずかしい。。。)

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