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2015/04/07 非浸潤性乳管癌に対する術後放射線療法

非浸潤性乳管癌に対する乳房温存術後には、ふつう、放射線療法を行う。 これは日本乳癌学会編『乳癌診療ガイドライン 2013 年版』で推奨グレード A として「十分な科学的根拠があり、積極的に実践するよう推奨する」とされている治療である。 野心溢れる聡明な学生であれば、これをみて「乳癌学会は頭がおかしくなったか」ぐらいのことを言っても不思議ではない。 それくらい、この「科学的根拠」は、衝撃的な内容なのである。

新三年生以下の医学科生や非専門家には、この「科学的根拠」の突飛さを理解できないであろうから、解説する。 非浸潤性乳管癌は、上皮内癌 carcinoma in situ の一種である。上皮内癌とは、「基底膜を越えて浸潤をしていない癌」という意味であるが、 「癌」の定義は「浸潤性の腫瘍」であるから、「浸潤しない癌」というのは何かがおかしい。 この carcinoma in situ という病理学的な概念は、「もしかすると、我々の目に映っていない部分で浸潤しているかもしれない」とか 「基底膜に少しでも穴があけば浸潤できる、準備万端である」というような思想を根拠として、半ば臨床上の便宜のために、使われているものと思われる。

定義より、非浸潤性乳管癌であれば浸潤がないのだから、断端陰性になるように切除できていれば、すなわち 腫瘍の取り残しがないのであれば、重複癌や多発癌はあるかもしれないが、再発は、ありえない。 従って、真の非浸潤性乳管癌に対する術後放射線療法は、理論的に不当であり、有害無益である。

それにもかかわらず、臨床的には、術後放射線療法を行った方が再発率が低い、換言すれば「非浸潤性乳管癌は再発することがある」という統計的事実がある。 この、我々の医学理論を嘲笑うかのような現象を、どう理解すれば良いのか。

極めて遺憾なことであるが、もっとも合理的な解釈は、我々病理医が誤診している、というものであろう。 微小な浸潤を見落としているのか、それとも検体のうち標本化されなかった部分にのみ浸潤があるのか、真相はよくわからないが、 とにかく、結果として浸潤性乳癌を非浸潤性と誤診しているのだと考えざるを得ない。

これは、病理医の尊厳にかかわる問題であって、病理診断の存在意義が問われているのであり、病理診断学の敗北であると言わざるを得ない。 我々、次世代の病理学者に課された重要課題の一つである。


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