これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/04/05 病理学を学ぶ意義 (2)

昨日の記事の補足である。 なぜ、疾患の定義と診断基準を区別し、病理学的理解をすることが重要なのか、という話を書こうと思ったのだが、やめた。 というのも、病理学を軽視し、典型的な症例についての診断基準と標準的治療法を記憶し、あとはガイドラインに盲従した「マニュアル診療」を行うような 学生や医師に対しては、道理を説いたところで、馬の耳に念仏を唱えるようなものだからである。 彼らも、たぶん、医師になって十年もする頃には、学生時代に病理学を修めなかったことを反省するであろう。

多くの学生や一部の若手医師は、ガイドラインについて誤解しているようである。 ガイドラインは、診療における規則を定めるものではなく、単なる指針に過ぎない。 従って、これに違反しているからといって直ちに「不適切な診療である」とはいえないし、 また、ガイドラインに沿っているからといって「適切な診療である」とも限らない。 このことは、ほとんどのガイドラインの前文などに記載されているのだが、どうやら、こうした重大な文言を読んでいない医師がいるらしい。

「適切な診療」の基準でないのならば、ガイドラインは何のために制定されているのか。 これは、個々の医師が煩雑な論文調べをする手間を省くためである。 臨床上の判断に迷うような事例について、しばしば、学術研究がなされ、論文として報告されている。 しかし、論文には様々な社会的事情などが反映されるため、論文に書かかれていることが常に正しいとは限らない。というより、しばしば、間違っている。 従って、学術論文を読んで最新情報を入手することは重要ではあるが、その情報の信憑性はかなり低い、ということを忘れてはならない。 本当に信頼できる情報は、多数の人が様々な方向から検討した上で、共通の結論として得られた内容に限られるのである。 このような「本当に信頼できる情報」を抽出する作業は多大な労力を要するので、学会などが主導して行い、成果としてまとめたのものがガイドラインである。

また、薬剤の「禁忌」についても、時に誤解されているようである。 禁忌とは、製薬会社が「このような患者に投与してはならぬ」と、添付文書に記載している内容のことである。 大抵の場合、禁忌とされている患者に投与してはいけない。また「禁忌になっているから」という理由で投与しなかった、という判断を咎められることは、 皆無ではないものの、稀である。 しかし、診療内容を決定するのは医師と患者であり、薬剤師ではない。 薬剤師や製薬会社が「禁忌である」と主張したとしても、それは医師に対する助言に過ぎないのであって、最終的な決定権と責任は医師にある。 従って、医師が投与を控える理由としては「禁忌だから」ではなく、たとえば「流産の危険があるから」などと、具体的な医学的事情を挙げる必要がある。 換言すれば、我々は「禁忌であること」自体を理由にするのではなく、「なぜ禁忌なのか」という部分を理由に挙げなければならない。

さらに、インフォームドコンセントについても、しばしば誤解がある。 インフォームドコンセントを行い、患者の希望に従って診療したならば、いかなる結果になろうとも医師に責任はない、というような言説を耳にすることがあるが、誤りである。 そもそも、完璧なインフォームドコンセントなど、あり得ない。 たとえば結腸癌の患者に対し、手術のためのインフォームドコンセントを試みたとする。 手術をしなければどうなるのか、抗癌剤の副作用はどのようなものなのか、などの事項は、医学的に深遠な問題であって、とうてい、素人である患者に理解できるものではない。 従って、医師は、ある程度「かみくだいて」「素人にもわかりやすく」説明する必要があるが、結果的に、あまり正確ではない説明になってしまうことは避けられない。 そのため、患者は多かれ少なかれ、誤解したまま、治療方針に同意することになるのである。 結局、その僅かに残った「誤解」の部分を巡って、責任問題が生じ、訴訟が生じるのである。 よく調べてはいないが、たぶん、医師が訴えられる例のうち大半は、インフォームドコンセントは行われているはずである。 インフォームドコンセントがない場合は、大抵、全面的に医師や病院側に非があり、訴訟の余地が乏しいからである。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional