これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/09/20 臨床をやりたくない

学生時代には少しばかり遠慮していたが、最近では、場面を選んでではあるが、はっきりと「臨床をライフワークにはしたくない」「患者対応を主たる仕事にしたくない」 と言うことにしている。 この言葉だけをみると医師不適格と思われる恐れがあるが、私は、そうは思わない。 私は、患者と話をしたくない、患者を診察したくない、と言っているわけではない。 ただ、患者に病状などの説明をするのが苦痛なのである。

一部に例外はあるものの、基本的には、患者は医学の素人である。 最近ではインターネット等を駆使して、自身の病について知識を蓄えている患者も多い。 しかし、あくまで素人が一朝一夕に勉強しただけのことであるから、医学的に正確な理解からは乖離しているのが当然であり、素人であることには変わりがない。 素人に対して、医学の専門的な内容について正確な説明をして、本当に理解を得ることなど不可能である。 以前にも書いたが、ある種の話術を用いて患者を「理解したつもり」にさせることは可能であるが、あくまで、それは「つもり」に過ぎない。 従って、かみくだいて「わかりやすく」説明して患者を満足させるのが現在の主流であると思われるが、そのためには医学的に不正確な説明を行わざるを得ない。

それが、私には苦痛なのである。 私は、あくまで医学的に正確な、厳密な議論と説明をしたい。 たとえば学生や一般人相手に、医学に興味を持たせるために話術を使うのは、構わない。 しかし患者本人に対して話術を用いて満足させるのは、どうなのか。 研修医になってから、実際に正確ではない説明を受けて、みかけ上は満足して退院していく患者を何人もみてきた。 それが臨床医療のあり方として間違っているとまでは言わないが、私は、それが医学者として誠実な態度であるとは思わない。

日本における医学教育が、医科専門学校などを廃して大学に一本化されたのは、全ての医者は須く医学者たるべし、という理念によるものであったと聞く。 しかし結局のところ、臨床医家と医学者とは、別個の人種なのであって、一人の人間が両者を兼ねることはできないのかもしれぬ。

私は、臨床医家である以前に、科学者であり、医学者の卵である。 だから、患者ではなく、専門家たる医師を相手に、科学者としての誠実さを保てる仕事をしたい。 私が「臨床の前線では働きたくない、病理の方が良い」と言うのは、そういう意味である。

もちろん、医師相手なら医学的に正確な議論ができるか、というと、それは別の話である。 世の中には、学生時代には国家試験対策に専念し、卒業してからは仕事を「こなす」ことに専念し、一度として医学を学んでいない医師が存在する。 ガイドラインにそう書いてあるから、エラい先生がそう言っていたから、というような理由だけで、自分の頭を使わずに、無思慮な診療をするのである。 そういう者に対して、はたして、どれだけ医学的な議論ができるかは疑わしい。


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