これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/09/17 「臨床的には」

少し、反省したことがある。 たとえば昨日の肺胞再生上皮細胞の件だとか、8 月 9 日のトロンボモジュリンの件だとかを 同期の研修医などに話した際、私は、つい遠慮して「まぁ、臨床的にはトロンボモジュリンを投与すれば良いんだけどさ」などという一言を付けてしまった。 もちろん、これは本心ではない。 医療経済のこともあるが、最適な医療を患者に提供するという観点からは、効くかどうかよくわからないものを闇雲に投与するのは、不適切である。 学生時代には、私は、この点について一切許さず「これを明らかにしていくのは、これからの医学・医療を担う我々の責任である」と強く主張していた。 それに対して、周囲の学生からも一定の理解を得られていたように思う。 ある時などは、私が「まぁ、臨床的には……」と言った際、友人の一人から「あなたが『臨床的には』などと言うのか」という指摘を受けたほどである。 一方、北陸医大 (仮) に来てからは、あまり周囲からの同意は得られていない。そこで私も遠慮してトーンダウンし、心にもない発言をしているわけである。 これが名古屋大学と北陸医大の違いなのか、それとも学生と研修医の違いなのかは、知らぬ。

この最近の私の態度は、やはり、改めねばならないと思う。 名古屋大学はどうだか知らぬが、少なくとも今の北陸医大において、未来への野心と希望を抱き、現状を否定し、理想を語ることができる者は、少ないようである。 現実の障壁を前にして疲れてしまった教授陣や、早くも野心や希望を捨ててしまった若者達には、その任は重すぎる。 その一方で、この現状に不満を抱き、理想を持ちたい、現状を改めたい、という心を抱いている人も、少なくないようである。 それならば、それに応えるのが私の北陸医大における使命であろうし、実際、そのつもりで、ここに来たのである。

もちろん今すぐには、北陸医大の若者達に、私の言葉は届かないであろう。 以前にも書いたが、五年、あるいは十年かけて、彼らの胸に届けば充分である。


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