これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/09/06 MCHC の単位

血球算定というのは、古典的には、血液中に血球が何個あるかを数える検査をいう。 しかし歴史的経緯により、血球数だけでなく、それに関連する項目、たとえばヘモグロビン濃度や、いわゆる赤血球指数なども血球算定検査の一環として、現代では行われる。 「赤血球指数」という言葉の意味にも歴史的変遷はあるが、現代では「Wintrobe の赤血球指数」の意味で用いられるのが一般的である。 これは、平均赤血球容積 (Mean Corpascular Volume; MCV)、平均赤血球ヘモグロビン量 (Mean Corpascular Hemoglobin; MCH)、 平均赤血球ヘモグロビン濃度 (Mean Corpascular Hemoglobin Concentration; MCHC)、の三つを指す。 本日の話題は、この MCHC の単位についてである。

MCHC というのは、名前の通り、赤血球中の平均ヘモグロビン濃度である。 従って、MCHC は、血液中ヘモグロビン濃度をヘマトクリットで除すことによって計算できる。 ヘマトクリットというのは、血液中に赤血球が占める体積割合のことである。 物理学的に考えれば、ヘマトクリットは無次元量であるから、MCHC は血液中ヘモグロビン濃度と同じ次元を持つ。 従って、その単位には g/dL などを用いるのが妥当である。 ところが、臨床検査医学の一部の教科書では、MCHC の単位を % として記載している。 物理学的には明らかな誤りであるにもかかわらず、なぜ、そうした記載が散見されるのか。 この問題については、巽のレビュー (日本検査血液学会雑誌, 5, 252-258 (2004).) が、簡明である。 どうやら、MCHC などの指標を提唱した M. M. Wintrobe 自身が、単位について不適切な内容を記載してしまった、というのが、この単位を巡る混乱の原因のようである。

Wintrobe は、この赤血球指数を 1929 年に提案したが、それが日本で広まったのは、 巽によると、Wintrobe の著書 `Clinical Hematology' の第 6 版が出版された 1967 年頃からであるらしい。 この第 6 版までは、Wintrobe は MCHC の単位として「%」を用いていたが、1974 年の第 7 版以降では「g/dL」に変更されたという。 たぶん、Wintrobe 自身が、% 表示の物理学的不適切さを認識していたために、修正したのであろう。

こういうことは、理論研究の世界では、しばしば起こる。 研究の成果、この例でいえば MCHC の計算方法自体は単純なのだが、研究している当人は、ものすごく複雑で難しい考察の末に、この結論にたどり着いている。 その難解な過程を知っているがゆえに、本当は単純な「単位をどうするべきか」という問題を、必要以上に複雑に考えてしまい、かえって不適切な結論に至るのである。 MCHC の例でいえば、本当は Wintrobe は、ヘモグロビンの濃さを表す無次元の指標を提案したかったのであろう。 ところが結局、物理学的に合理的な方法で無次元化する方法を発見できなかった。 そこで、血液の比重を 1 とみなす、というような強引な近似に基づいて、無次元の「%」を単位として採用したものと思われる。 しかし、この近似は、あまりに無茶であるから、第 7 版からは「g/dL」に修正したのであろう。

以上のことからわかるように、MCHC の単位として「%」を用いることは合理性を欠く。 それをよく理解できないという人は、初歩的な物理学、特に、いわゆる次元解析について、一度、勉強してみるのがよろしい。


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