これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/09/04 カハールの間質細胞

9 月 5 日に補足記事がある。

過日、研修医向けのセミナーで、便秘症についての講義があった。 私は、便秘症について、よく理解していなかったので、これを機会に少しずつ勉強している。 残念ながら、日本では研修医向けの低俗なマニュアル本は豊富であるものの、便秘症についてキチンと記述された日本語の成書は乏しいようである。 英語の文献では、D. K. Podolsky et al., Yamdada's Textbook of Gastroenterology, 6th Ed. (2016). が便秘症にも詳しく言及しており、よろしい。 同書は 6 万円程度と、学生が個人で購入するには重厚な書物であるが、北陸医大 (仮) や名古屋大学の図書館では、もちろん、開架書庫に納められている。

ところで、神経解剖学を修めた学生であれば、カハール、という神経解剖学者の名を聞いたことがあるだろう。 彼の業績は多岐にわたるが、たとえば、ゴルジらが唱えた「神経ネットワークは合胞体を形成している」という説を否定し、 別個の神経細胞が互いに連絡しあっているのだ、と主張したことは有名である。 彼は 1985 年、ウサギの消化管の筋層間神経叢に、なんだか機能がよくわからない細胞が存在することを報告した。 今日ではカハールの間質細胞 (Interstitial Cell of Cajal; ICC)」と呼ばれる細胞である。 この細胞の機能については 100 年以上にわたり議論が続いていたが、近年では、消化管の蠕動運動のペースメーカーである、 という見解にまとまりつつある。このあたりについては、M. Hanani らが簡明なレビューを書いている (Acta Physiol. Scand., 170, 177-190 (2000).)。 余談であるが、Hanani はイスラエルの大学教授であるが、この雑誌はスカンディナヴィア生理学会が刊行しているものである。 近年では分子や遺伝子を対象にした基礎研究が日本を含めて世界的に流行しているが、 スカンディナヴィアでは、そうした風潮に迎合せず、巨視的な生理学などを重視する文化が残っているようである。 今年の春の旅行の際にも書いたが、 21 世紀後半から 22 世紀にかけて、世界の科学や医学を牽引するのはスウェーデンやフィンランドであろう。

消化管粘膜にみられる c-Kit 陽性細胞はカハールの間質細胞であると考えられている。 一方で、電子顕微鏡的にカハールの間質細胞と考えられる細胞の中には c-Kit 陰性のものもあるという (J. Auton. Nerv. Syst., 75, 38-50 (1999).)。 結局のところ、カハールの間質細胞とは多くの種類の細胞の総称なのであって、今後、機能面から分類を進めていく必要がある。 たとえば、主として胃の固有筋層に生じる GastroIntestinal Stromal Tumour (GIST) と呼ばれる腫瘍は、このカハールの間質細胞由来であると考えられている。 GIST の発生と c-Kit 発現との間には密接な関係があると考えたくなるが、それでは c-Kit 陰性のカハールの間質細胞から GIST が生じることがあり得るか、 という点については、私はよく知らない。

話を便秘症に戻す。 「Yamada」によれば、慢性便秘症の原因は便宜上、1) 腸管の協働収縮異常; 2) 腸管運動の低下; 3) 過敏性腸症候群、に大別されるが、もちろん、ある程度は重複する。 このうち腸管運動の低下について、長期にわたる便秘の末に結腸切除を受けた患者について組織学的に検索すると、 神経節細胞やカハールの間質細胞の数や大きさが減少しているという。 もちろん、これが便秘症による二次的な変化である可能性はあるが、素直にみれば、むしろ便秘症の素因であると考えたくなる。

小児の先天性疾患である Hirshsprung 病は、神経堤細胞の腸管への遊走に障害を来し、結腸遠位部の神経叢が正常に形成されないことを原因とする疾患である。 ひょっとすると、Hirshsprung 病とまではいかずとも、この胎児期の遊走が乏しかった人が、慢性便秘症になりやすいのかもしれぬ。

2016.09.05 誤字修正
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