これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/09/01 接遇とインフォームドコンセント

接遇、という語が世間でどのくらい頻繁に使われるのかは、よく知らない。 少なくとも医療業界では、医療従事者による患者に対する接し方、という意味で、近年、頻用されるようである。 私自身は、患者に対しては通常の社会常識の範囲内で対応すればよいと考えており、接遇などという、もったいぶった言葉を使うことは好きではない。

昔は、なぜか、医者は患者よりエラいと考えていたらしい。 治療方針を決定するのは医者であるし、検査結果等もイチイチ患者に説明する必要はないと考えられていた。 患者に話す際には、目上の者が目下の者に命令するような言葉遣いや口調でよいとされていたようである。 さすがに近年では、こうした慣行は不適切であるとされるようになった。 たとえば我々は学生時代、「高齢の患者に対して、まるで幼児に話すかのような言葉遣いで接することは不適切であり、敬語を使うべきである。」というように教わった。 冷静に考えれば当然に過ぎることなのであるが、わざわざ、そういうことを明言しなければならないほど、医療業界では非常識な慣習が続いていたのである。

遺憾なことに、頭の古い医者や、勘違いした若手医師の中には、こうした時代の変遷についていけない者もいるようである。 患者に対し、エラそうな、無礼な口のきき方をする医者は少なくない。 学生時代、私は、ある中堅の医師が回診の際、病室の入口を入るや否や、まだ患者の顔もみず挨拶もしないうちに、 ベッドに向かって歩きながら「はい、おなかみせてー」などと言い放つのをみたことがある。 当然、患者は愉快ではなかっただろうが、弱味を握られている立場ゆえに、抗議することもできなかったのであろう。

一部の医者には、患者は医者を無条件に信頼して全てを委ねるのが当然である、というような奢りがあるように思われる。 また、検査をするに際しても、現代では、事前に患者からインフォームドコンセントを得るのが原則であると考えられている。 検査の日程を医者が決定し、一方的に患者に通知するのではいけない、というのである。もちろん、結果は本人に逐一説明するのが基本である。 しかし、その原則も、いったい、どれだけ守られているのか、はっきりしない。 そこには真のインフォームドコンセントは存在せず、ただ、内容を理解しないままに署名された同意書があるに過ぎない。 もちろん患者の中には、こういう医師の態度に納得しておらず、私などにコッソリと不満を漏らす人もいるのである。

患者の側にも問題がないわけではない。 北陸医大 (仮) では、「先生方を信頼して、全てお任せします」などと患者が発言しているのを、何度も聴いたことがある。 こうした、いわば包括的な同意というものは、インフォームドコンセントには該当しないと考えられている。 もちろん、医学の小難しいことはわからないから、どうすれば良いか判断できない、全て任せてしまいたい、という気持ちは理解できる。 しかし、自分の体のことなのだから、最終的に判断、決定するのは、患者自身でなければならぬ。 本来であれば、それを支えるのが医師の職務なのであるが、現状では、そういう認識を欠く医師が稀ではないように思われる。


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