これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/08/30 研修医の仕事

医師の初期臨床研修制度の法的根拠は、医師法第 16 条の 2 第 1 項 「診療に従事しようとする医師は、二年以上、医学を履修する課程を置く大学に附属する病院又は厚生労働大臣の指定する病院において、臨床研修を受けなければならない。」 というものである。 この「臨床研修」の内容を定めているのは、厚生労働省の「医師法第十六条の二第一項に規定する臨床研修に関する省令」である。 この省令では、臨床研修の理念について次のように述べている。

第二条 臨床研修は、医師が、医師としての人格をかん養し、将来専門とする分野にかかわらず、医学及び医療の果たすべき社会的役割を認識しつつ、 一般的な診療において頻繁に関わる負傷又は疾病に適切に対応できるよう、基本的な診療能力を身に付けることのできるものでなければならない。

この省令でいう「一般的な診療」という語の意味は曖昧であり、具体的な研修のあり方は、研修医や研修病院に委ねられていると解釈してよかろう。 ただし、あくまで「基本的な診療能力を身に付けること」が目的なのであって、診療業務の補助戦力として働くことは、研修医の主たる任務たり得ない。

さて、外科研修中のある時、私は、自分が診療上は何の重要な働きもしていない旨を、研修医室で半ば自虐風に発言した。 もちろん、これは「自分の非才が恥ずかしい」という意味ではなく、「それで、何が悪いというのだ」という、開き直りのような文脈での発言である。 これに対して、同期研修医の某君は 「何だ、あなたは、患者の話を聴くことすらできないのか」 と、述べた。 何か診療上の重大な貢献をしていなくても、患者の話をよく聴くことだけでも、それで充分ではないか、何か不満なのか、という意味であろう。

実際のところ、患者の話を聴くということは、重要である。 たとえば患者の中には、学生や研修医の勉強に非常に協力的な人もいて、我々が何かを学び、その経験を未来の患者のために役立てることを強く希望する人もいる。 我々がじっくりと患者の話を聴いて、そこから何かをつかみとること、あるいはじっくりと身体診察をすること自体が、患者の安楽の役に立つことも、あるのである。

我々は、病院や指導医のために働いているわけではなく、あくまで自分の勉強のため、将来の患者のために研修しているに過ぎない。 確かに月 31 万円もの給与を受け取ってはいるが、これは我々が立派な医師となって、将来の医学、医療に貢献することを期待しての 先行投資なのであって、現在の我々の労働に対する対価ではない。堂々と、受け取って良い。

ところで私は、学生時代、経済的には完全にスポンサーに依存していた。 現在の私は、結局スポンサーが両親から北陸医大 (仮) に変わっただけのことであって、他人に養ってもらっているという意味では学生時代と変わりがない。 どうも現代の日本社会では「経済的に自立していること」を重視する風潮があるようだが、私は、それは些細なことであると思う。 我々は勉強すること自体が仕事なのであって、それに対して親や社会が経済的に扶助するのは、自然なことである。 この考え方は私独自のものではなく、むしろ日本や中国の伝統的価値観である。 実際、古代の貴族は三十歳や四十歳になっても親に養われることが当たり前であり、それを恥じるという発想はなかった。

2016.10.01 脱字修正

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