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2016/08/18 心を強く持つことについて

学生時代、私が病理医志望であることを告げた際、ある病理医に「(病理とは直接関係しないことを学ぶ初期研修の間) 心を強く持ちたまえ」との助言を頂戴した。 このとき、私は「目にみえやすい臨床の魅力に引っぱられ過ぎないように、心を強く持ちたまえ」という意味に解釈していたのだが、 ひょっとすると違う意味であったのかもしれないと、近頃、思っている。

我々は、二年間の研修期間のうち大半を、将来の進路とは異なる診療科での研修に費す。 そこで学ぶべき内容は、それぞれの診療科の専門的なことではなく、むしろ、他科の医師が教養として理解しておくべき内容でなければならぬ。 たとえば、精神科医になろうとしている研修医が、消化器外科の手術法を学ぶ必要はないだろう。 また、外科医になろうとうしている者が、病理診断学の詳細な診断テクニックを修める必要もない。 従って、たとえば同じ病理診断科での研修であっても、外科医志望者に対する研修内容と、精神科医志望者に対する研修内容と、病理医志望者に対する研修内容は、 互いに異ならなければならない。 しかし現状では、そうした「適切な」研修を実施できている病院は、日本中に、一体、どれだけ存在するのだろうか。 名古屋大学時代にも、卒後教育担当の某教授が、某診療科の教授について 「教育熱心であり、専門医育成に力を入れている立派な人物だが、他科に進む研修医に対する教育としては問題があるように思われる」と述べているのを聴いたことがある。

本当に、二年間の初期臨床研修は、有益なのか。本当に、必修とすべきものなのだろうか。 指導医のセンセイ方は、研修医に、何を、どういう目的で、伝えようとしているのか。 「どの科に行っても必要になるだろうから」という言葉をしばしば耳にするが、その「どの科にも」には、 病理診断科や精神科、あるいは厚生労働省医系技官も、含まれているのだろうか。 私には、よく理解できない。

冒頭の病理医が言いたかったのは、そういうことであったのかもしれぬ。


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