これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/08/09 播種性血管内凝固

播種性血管内凝固 (Disseminated Intravascular Coagulation; DIC) という概念がある。 これは、敗血症など何らかの疾患を原因として、血液凝固が異常に亢進するものをいう。 これが進行すると血液凝固因子や血小板を使い果たし、結果として血液が凝固しにくくなり、出血傾向を来す。 ついには多臓器障害を来し、死亡することも稀ではない。

DIC に対する治療としては、血液凝固因子や血小板を輸血により補充する他、トロンボモジュリン製剤を投与することがある。 本日の話題は、このトロンボモジュリンの投与は本当に有効なのか、という問題である。

トロンボモジュリンは血液凝固カスケードの一員であって、主にトロンビンに作用する。 すなわち、トロンビンによるフィブリノーゲンの活性化を抑制する一方、トロンビンによるプロテイン C の活性化を促進する。 プロテイン C は、Va 因子や VIIIa 因子を不活化するなどの機序により、血液凝固カスケードを抑制する。 このことから、理論上、トロンボモジュリンは DIC に対して有効であるかのように思われる。

今年の 6 月、トロンボモジュリンは敗血症による DIC に対して実際に有効である、と報告された (Thrombosis and Haemostasis, 115, 1157-1166 (2016).)。 しかし、この報告を素直に信じるのは、いささか危険であろう。 というのも、これは後向きコホート研究であって、統計的バイアスの入る余地が大きい。 さらに、トロンボモジュリン製剤について議論する際には、活性化プロテイン C 製剤を巡る混乱のことを忘れてはならない。

敗血症による DIC に対して、活性化プロテイン C 製剤が有効である、と報告されたのは 2001 年である (N. Engl. J. Med., 344, 699-709 (2001).)。 これは大規模なランダム化プラセボ対照二重盲検に基づくものである。 プロテイン C は、前述のように Va 因子や VIIIa 因子を不活化する以外にも複数の機序で血液凝固を抑制するから、 これが DIC に対して有効であるという結論は、至極、合理的であるように思われた。

ところが、この活性化プロテイン C の有効性は、統計の対象が重症患者ばかりであったせいではないか、とする疑義が示された (Acta Anesthesiol. Scand., 50, 907-910 (2006).)。 学生の中には「重症患者にだけでも効くなら、それで良いではないか」と考える者もいるかもしれないが、それは誤りである。 もし軽症患者には無効であるならば、「プロテイン C は凝固カスケードを抑制することで DIC に奏効する」という仮説は誤りであると考えざるを得ない。 その場合、重症患者に対するプロテイン C の有効性は、抗凝固作用ではなく、抗炎症作用などによるものであると推定される。 それならば、重症患者に対しても、プロテイン C ではなくグルココルチコイドなどを使う方が良いと考えられる。 従って、「軽症患者にも効くのかどうか」という点を追究することは、重要なのである。

さらに 2012 年になって、プロテイン C は敗血症による DIC に対して無効である、と報告された (N. Engl. J. Med., 366, 2055-2064 (2012).)。 その結果、現在では、DIC に対するプロテイン C の投与は、一般的には支持されていない。 ただし、なぜ、プロテイン C が DIC に無効なのかは、よくわからない。

結局のところ我々は、DIC の本質も、凝固カスケードの詳細も、よく理解できていないのである。 プロテイン C が DIC に無効だとするならば、トロンボモジュリンの有効性も疑わしい。 臨床的にトロンボモジュリンを投与することを一概には否定するべきでないが、その有効性を安易に信じることも危険であるといえよう。


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