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2016/08/04 血液学の教科書

私が初めて読んだ、キチンとした血液学の教科書は MEDSi 『ハーバード大学テキスト 血液疾患の病態生理』(2012) である。 この教科書は、厚さも 276 ページと少なく、1 ページあたりの文章量も少ないので、気楽に通読できる書物である。 その一方で、タイトルの通り、病態生理をなかなか詳しく解説しており、血液学の初学者である学生に強くお勧めできる。

もちろん、この教科書は初学者向けの簡易なものであり、あまりマニアックな内容にまでは言及されていない。 せいぜい、ビタミン K の作用は翻訳後修飾である、とか、ワルファリン誘発性表皮壊死症の機序について、といった程度までである。 従って、少し血液学に興味を持った学生は、この教科書では物足りなくなるであろう。 そこで私の場合、南江堂『血液専門医テキスト』を買ったのが、五年生の頃であったように思う。 これは、日本血液学会が編纂したものであり、専門医試験向けの参考書ではあるが、それなりに学術的な内容が充実している。 その後、2015 年 6 月、私が六年生の頃に改訂第 2 版が出たので、買い直した。

しかし、六年生の後半には、私は、この教科書には大いに不満をおぼえるようになっていた。 臨床的に重要とされるような知識が羅列しているばかりで、学術的に重要な疾患の本態、本質が、全然、みえてこないのである。 そこで名古屋大学を卒業するにあたり、卒業記念品として私は、ちょうどその頃に新版が出たばかりであった K. Kaushansky et al., Williams Hematology, 9th Ed. (2016). を購入することにした。 正直にいえば、この本は学生が読むには重厚に過ぎるし、とてもキチンと通読できる気がしなかった。 それ故に、学生のうちは手を出さず、あくまで記念品として、卒業に際して購入したのである。

この本を買って良かったと、たいへん満足したのは研修医になってからである。 この書物には、病態から臨床像まで詳細に記載されており、「ここから先は、よくわかっていない」という線まで、キチンと言及されている。 参考文献リストも充実しているので、記載内容に疑義がある場合には、自分で一次資料にあたることもできる。

最近、読んで面白かったのがアルコール依存症における大球性貧血についてである。 アルコール依存症患者に大球性貧血がしばしばみられることは、それなりによく知られている。 「血液専門医テキスト」でも、大球性貧血の原因として、ビタミンや葉酸の欠乏以外に「アルコール多飲」が挙げられている。が、その理由には言及がない。 つまり日本の一般的な臨床医は、「あぁ、アルコール依存症が原因で大球性貧血になることがあるんだね」という程度の理解なのであろう。

もちろん Williams は、その程度では満足しない。 重度アルコール依存症では、高頻度に栄養障害やビタミン欠乏を来すため、ビタミン B12 や葉酸欠乏による巨赤芽球性貧血を来すのだ、と明記している。 また、しばしば鉄欠乏性貧血を合併するために、赤血球平均容積 (MCV) は基準範囲内に収まることが稀ではないという。 この場合、赤血球分布幅 (RDW) が広がることから、病態を見抜くことができる。 余談であるが、名古屋大学では電子カルテ上の血液検査結果に RDW が表示されていたが、北陸医大 (仮) では RDW が表示されないようであり、面白くない。 さて、Williams によれば、ビタミン欠乏がなくても、アルコール多飲者では溶血や出血傾向などを来すようであり、結果として網赤血球増加を来すようである。 網赤血球は普通の赤血球より大きいので、これは巨赤芽球を伴わない大球性貧血の原因となる。

この Williams の説明に従うならば、「血液専門医テキスト」の説明は、あまり正しくない。 というのも、アルコール多飲そのものが大球性貧血を来すわけではなく、あくまで、直接の原因はビタミン欠乏や溶血、貧血などなのである。 アルコールと貧血を直結させてしまうのは、論理構造として、まずい。 これは、以前に書いた同性愛と AIDS の関係について医療業界に蔓延する誤った認識にも通じる問題である。


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