これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/07/25 楽毅

一年半ほど前に燕の昭王について書いた。 この時、私は「唯一の問題は、昭王に巡り合うことができるかどうか、である。」と書いたが、実際のところ、私は昭王に会うことができた。 人材難に悩み、昭王が苦しんでいる点も、北陸医大の現状は燕に似ている。

燕という国は、中国の東北部に位置していた。 春秋戦国時代を通して、この国が中華の覇権を握ることはなかったが、昭王を戴き楽毅を擁した頃には、斉を滅亡寸前にまで追い込むほどに勢力を拡大した。

楽毅は、もともと中山という小国の臣であった。 隣接する大国、趙の侵攻に対し、戦力では圧倒的に劣る中山兵を率いて奮戦し、散々に敵を苦しめたのだが、結局は敗れて中山国は滅亡した。 その後、楽毅は燕に逃れて昭王に重用され、軍事において大いに活躍した。 楽毅がいなければ、燕が「戦国の七雄」の一つに数えられることもなかった。

さて、あと 20 年のうちには、我が北陸医大は中部地方一の名門医学部になるであろう。30 年あれば、日本一にはなれる。 世界一になるためには、米国の名門、ハーバードを抜かねばならぬが、それも 50 年ほどあれば可能であろう。 そのための下地は、既に、整えられつつある。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional