これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/07/15 研修医としての積極性

救急研修中である。 たとえば救急車で患者が来院した際に、静脈カテーテル留置や、動脈血ガス分析を行うとする。 私の場合、そこで「私がやります」と前に出て手技を実施することが、なかなか、できない。 世の中の一般的な基準からいえば、まぁ、積極性の乏しい、質の低い研修医だということになるだろう。

積極性を発揮できない最大の理由は、患者に申し訳ないから、ということである。 どう考えても、私は、そうした手技が巧くない。 そんな私が、患者の体に針を刺すなど、あまりに恐れ多いのではないか、と思えてならないのである。

もし私が、将来、一般内科医になろうと思っているのでれば、気にせず前に出られたのではないかと思う。 私が前に出ることは、眼前の患者の利益にはならなくても、間違いなく将来の別の患者の利益になり、社会全体でみれば有益だからである。 私は (自称) 共産主義者であるから、そうした社会全体の利益のためなら、眼前の患者個人の不利益に対して余計な配慮は、しない。 すみません、ごめんなさい、と心の中で謝りながら前に出るぐらいの勇気は、私も持ち合わせている。 しかし、私は病理医になることに決めている。これは、断じて揺るがない。 その前提で考えると、私がここで患者の体に針を刺すことは、はたして、未来の患者の利益になるのだろうか。

こういうことを書くと、多くの人は「それは言い訳だ」などと私を批判するだろう。 そうだろうか。 むしろ、あなた方こそ、患者の利益と不利益に対して無頓着すぎるのではないか。 研修医はそういうものだから、とか、救急医療とはそういうものだから、とかいう、根拠のない決めつけに従って、結論ありきで話をしているのではないか。

たとえば、少なからぬ医科学生は、全身麻酔がかけられた患者に対して、本人の同意を得ることなく、内診や直腸診を行った経験があるだろう。 非専門家のために補足すれば、内診というのは指を膣の中に挿入して触診をすることであり、 直腸診というのは指を肛門から直腸に挿入して行う触診である。 もちろん、患者の同意なしにこれらを行うことは、医療倫理の観点から許されない。 それを「勉強のため」などという一方的な理由で、学生に実施させているのが現在の医学教育なのである。

そもそも、初期臨床研修を必修として、さらに救急医療や外科を必修科目とすることは、適切なのか。 医師の多くを占める臨床医にとってはともかく、たとえば医系技官とか、あるいは基礎研究者とか、また病理医や臨床検査医にとって、 本当に、救急研修は必修とすべきものなのだろうか。 かつて初期研修が必修ではなかった時代に救急研修を経験せずに専門家になった医師は、そんなに無能なのか。 むしろ、病理や臨床検査こそ、必修とするべきではないのか。


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