これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/12/11 譫妄

2017 年 7 月 23 日の記事も参照されたい。

過日、同期研修医の某君と話していて、そういえば、そうだ、と思った話である。「譫妄」という語についてである。 この言葉の意味について、金原出版『現代臨床精神医学』改訂第 12 版 (2011). には 「せん妄は, 1) 意識混濁, 2) 錯覚・幻覚, 3) 精神運動興奮・不安などが加わった特殊な意識障害である。」 「せん妄の特徴は, 意識混濁が存在するが意識の清明度が著しく変化, 動揺し, 活発な感情の動きや運動不安があり, 錯視, 幻視などの知覚異状を伴うことである。」 と記載されているが、定義については明確に述べられていない。 ひょっとすると、この「特徴」として述べられている内容は「定義」のつもりであったのかもしれないが、 精神医学においては術語の定義が非常に重要であることを思えば、曖昧な記載をするべきではない。 「定義」であるならば、ここに挙げられた要件を全て満足していなければ「譫妄」と呼ぶことはできず、また、要件を満足していれば全て「譫妄」に該当する。 一方、「特徴」であるならば、一部を欠いていても「譫妄」と呼んで構わないし、要件を全て満足していても「譫妄」に該当しない例が存在し得るのである。

この点において、医学書院『標準精神医学』第 6 版 (2015). では 「軽度ないし中等度の意識混濁に活発な精神運動興奮が加わるものをせん妄という」と明確に定義されている。 医学書院の「標準」シリーズは、基本的には医師国家試験対策書であり、低俗なのだが、『標準精神医学』『標準脳神経外科学』『標準整形外科学』については、 医師国家試験の枠にあまり捉われず、学術的な記載が比較的豊富であり、たいへん、よろしい。 なお、この『標準精神医学』の編者には、第 6 版から名古屋大学の尾崎紀夫教授が加わっている。 尾崎教授は、精神疾患に対する薬物治療に積極的であるために、臨床的には一部の患者等からひどく嫌われているが、少なくとも精神医学研究・教育においては傑出した人物である。 「疾患」とは何か、といった点も含め、言葉を正確に使うことの重要性を我々に教えてくれたのは、尾崎教授であった。 名大医学科で私が講義を受けた中では、尾崎教授は、病理の中村教授と並び、最も素晴らしいメッセージを我々に与えた人物である。

なお、Kasper DL et al., Harrison's Principles of Internal Medicine, 19th Ed., (2015). では、譫妄 delirium について `a relatively acute decline in cognition that fluctuates over hours or days.' としている。 すなわち、精神運動興奮を要件とせず、hyperactive なものと hypoactive なものの、2 つのサブタイプに分類される、とするのである。 ただし、臨床的には両者は必ずしも明確に区分されるものではない、としている。 この Harrison などの流儀に対し、日本の教科書では、hyperactive なもののみを「譫妄」と呼ぶことが多いようである。

さて、精神医学的には、「譫妄」とは上述のように定義されている。 これは、症状のみによる定義であって、原因は限定しておらず、器質的な異常によるものも、そうでないものも含む。 しかし臨床的には、この語を少し違った意味合いで用いる医師が稀ではない。 すなわち、入院等により以前とは生活環境が一変することによって来す一過性の精神運動興奮発作に限定して「譫妄」と呼ぶのである。 私の知る限り、「譫妄」という語を、そうした限定的な意味で用いている精神医学書は存在しない。 おそらく、精神医学をキチンと修めていない医師の一群が、深く考えずに、曖昧な感覚だけで言葉を用いているのだろう。

そうした言葉の定義をキチンと考えない人々に対し、その問題点を認識させることは困難である。 定義が曖昧で意味がよくわからない、ということを指摘しても、彼らは「うまく説明できないが、意味はだいたいわかるだろ」と、自身の認識の甘さを認めないからである。 彼らは、自分よりエラい人から指摘されれば従うが、対等あるいは下の立場からの指摘に対しては、馬耳東風である。


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