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2016/12/08 病理解剖の承諾

近年、病院で死亡した患者に対する病理解剖の実施率が低下していることが、日本だけでなく、世界的に問題視されている。 病理解剖というのは、遺族の同意の下に解剖を実施し、その死因や、死亡に至る過程で何が起こったのかを詳らかにする行為をいう。 現代においては、病理解剖の最大の意義は、疾患に対する我々の理解を深めることにある。要するに、病理医や臨床医に対する教育として重要なのである。 しかし近年では、遺族が解剖に同意しない例が多く、結果として、解剖実施率が低下しているのである。

遺族が解剖に同意するか否かは、主治医の遺族に対する説明の仕方に大きく依存する、と言われている。 すなわち「もし、ご希望でしたら、病理解剖することもできますが、いかがなさいますか」などと問えば、大抵の家族は、解剖を断るであろう。 一方「我々としては、できれば病理解剖させていただきたいのですが、お許しいただけませんでしょうか」という方向で話せば、 比較的、同意を得やすい、という話を聴いたことがある。 そこで問題となるのが、臨床医自身が、どれだけ解剖を希望するか、ということである。

実情としては、多くの臨床医は、自分の診断に自信を持っている場合には、遺族に対して強く解剖を勧めないのではないかと思われる。 解剖をしても、どうせ、新たな発見は乏しいであろう、それなら無理に解剖を求めなくても良い、というわけである。 もちろん、病理医側の立場からすれば、その考えは誤りである。 いくら診断技術が進歩したとはいえ、現在の医療技術では、患者が死に至る過程の病態生理について、生前に充分に把握することは不可能である。 その患者が死亡した経緯を知るためには、解剖は、不可欠である。 解剖しなくても死因はわかる、などというのは、とんでもなく傲慢な発想なのである。 このことについては、福井次矢らの報告 (日本内科学会雑誌 85(12), 122-131 (2006.12).) などを参照されたい。

ただし、そのような勘違いを臨床医にさせてしまったことは、我々、病理医の責任である。 「主治医が剖検の同意をとってくれない」などと嘆く前に、はたして我々が、病理解剖によって充分な情報を遺族や主治医に提供してきたのかどうか、 いま一度、反省する必要があるのではないか。 我々は、これまで、患者や遺族、そして臨床医のために、本当に全力を尽くしてきただろうか。 病理診断のためのプレパラートを「腐るものじゃないから、急がなくても良い。診断は明日にしよう」などと放置した経験のある病理医は、いないだろうか。 また、患者と真剣に向き合わずに、疑問点を全力で追究せず、おざなりな病理解剖を施行した経験のある病理医は、実は少なくないのではないか。

研修医として臨床側に立って切実に感じるのは、病理診断の結果が出るのが遅すぎる、ということである。 病理診断学の聖典である J. Rosai `Rosai and Ackerman's Surgical Pathology', 10th Ed., (2011). には、次のように記載されている。

... it is essential to keep time at a minimum. The pathologist who spends minutes enraptured in the examination of a frozen section and shares his excitement with his colleagues should remember that there is somebody else who is spending those same minutes under somewhat different circumstances and in a different frame of mind.

...診断を速やかに遂行することは重要である。 診断を済ませる前に凍結切片を眺めてウットリすることに時間を費し、また、その興奮を同僚と分かち合うようなことがあってはならない。 その同じ時間に、自分とは異なる状況で、また異なる心境で、診断を待っている人々が、いるのである。

これを本当に肝に銘じ、常に念頭に置いている病理医が、はたして、どれだけ、いるのだろうか。 その病理医側の姿勢が、臨床医に伝わり、病理解剖実施率の低下につながっているのではないか。


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