これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/12/6 腎機能障害をクレアチニンで評価する

昨日の記事で言及したセミナーを聞き流している時に、ふと思い出したのだが、腎糸球体瀘過量のことを「腎機能」と表現する医者は、少なくない。 糸球体瀘過量が減少している、という意味で「腎機能障害がある」などと表現するのである。 あるいは、血清クレアチニン濃度が高くなることを「腎機能障害を来した」などと表現することもある。 もちろん、これは不適切というより、著しく飛躍した論理である。

そもそも「腎機能」という言葉自体が、極めて曖昧である。 腎臓には、尿の生成だけでなく、エリスロポエチン産生、ビタミン D の活性化、酸塩基平衡など、様々な機能があるからである。 また、腎臓に少し詳しい人であれば、クレアチニンは本当は少なからず尿細管から分泌されているので、 多少の糸球体瀘過量の変化が生じても、血清クレアチニン濃度にはほとんど反映されないことを知っているであろう。 しかし、ここで私が言っているのは、それ以前の問題である。

あたりまえのことだが、多量に輸液を行えば、糸球体毛細血管の静水圧が上がり、糸球体瀘過量は増加する。結果として、血清クレアチニン濃度は下がる。 これを「腎機能が上がった」と表現したいのであれば、すれば良いが、そういう「腎機能」に何か臨床的な意義があるようには思われない。 糸球体・尿細管の健全性は、糸球体瀘過量を決定する多数の因子のうちの一つに過ぎない、という事実を、少なからぬ臨床医は忘れているのではないか。 血清クレアチニン濃度、あるいは糸球体瀘過量から、糸球体・尿細管の健全性、いわゆる「腎機能」を推定したいのであれば、 そうした他の因子についてイチイチ補正した上で評価しなければならない。

こういうことを書くと、諸君は「それでも、腎機能の目安にはなるだろう」と言って反発するに違いない。 だから、医者は馬鹿にされるのだ。 水分の in-out バランスや利尿薬の投与量、長期入院による骨格筋萎縮によるクレアチニン産生量低下などを考慮して定性的に補正した上で、 血清クレアチニン濃度を「腎機能」の目安にするなら、理解できる。 実際、定性的な補正で構わないなら、それは、さほど難しいものではない。 しかし、そうした補正を「面倒だから」と省略して、「目安にはなる」などと単に血清クレアチニン濃度の高低だけで「腎機能」を測るのは、ただの怠慢である。知性の放棄である。


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