これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/11/23 上下関係について (2)

11 月 20 日の記事の続きである。 上下関係ということでいえば、医師の中には、技師や看護師といった、医師以外の医療職を低くみる者が、遺憾ながら、少なくない。 また、病院の清掃員などに対して、挨拶も会釈もしない医師や学生も少なくない。 そうした医師や学生の態度について、私を医学部に送り込んだある女性は「道端の『石ころ』ぐらいに思っているのだろう」と揶揄した。

医師が、技師や看護師、清掃員などに比して、はるかに高い給料を受け取っているのは事実である。 責任の軽重でいえば、間違いなく、医師の方が、技師や看護師よりも重い。 診療における責任は、専ら医師が負っているからである。技師や看護師には、与えられた任務以上のことを行う責任もなければ、独自の判断で診療を行う権限もない。 しかし、それで医師の方が技師・看護師・清掃員らよりも格上だと思っているならば、その者の眼はフシアナである。

私は「職業に貴賤はない」とか「チーム医療では互いに対等な立場で云々」などという、胡散臭い建前の話をしているわけではない。 我々医師は、技師や看護師がいなければ、何もできない、と言っているのである。清掃員がいなければ、病院は、そもそも機能しない。 制度上は、医師免許は臨床検査技師免許の上位互換であるかもしれないが、優れた技師の人々が持つ匠の技は、到底、医師ごときの及ぶところではない。 我々が病院で働くことができるのは、彼らのおかげである。 その点に対する感謝の念、彼らの持つ技能への敬意があるならば、どうして、医師が技師より上の立場だ、などという発想が起こるのだろうか。 技師の人々は我々を「センセイ」などと呼ぶが、もちろん、内心では、我々を「先生」などと敬っているわけではない。 しかし逆に、我々がベテラン技師に対して敬意を込めて「先生」と呼ぶのは、自然なことである。

ところで、私が毎週土曜日に学生と合同で勉強会を行っていることは以前にも書いた。 この勉強会の参加者に対して、私は「先生」ではなく「さん付け」で呼んで欲しい、と言っている。 うっかり彼らが私のことを「○○先生」などと呼んだ時には、すかさず「先生じゃないよ」などと返す、といった具合である。 これは、医師に対して「先生」という敬称を用いることに対する反発でもあるが、 同時に、学問の前には皆が平等であるとする京都大学的精神の発露でもある。

ついでに言えば、この「京都大学的精神」は、実は、京都大学に固有のものではない。 私が名古屋大学の学生であった頃、病理学の某教授は講義中、我々に対して幾度となく問いを投げかけた。 最前列中央に座っていた私は、その問いに対し、挙手すらせずに答えを述べる、ということを繰り返した。 そうするうちに、私と教授の間には、何かが芽生えたように思う。 ある時、教授が私の方に視線を投げながら、ある問いを発したのだが、私は答えに窮し、沈黙した。 すると教授は平然と「○○さんが即答できないということは、私の問い方が悪かったのであろう」と言ったのである。 私は、たいへん、申し訳なく思った。


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