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中島敦、といえば、格調高くもユーモア溢れる文体で、世の中学・高校生に大人気の作家である。 代表作は『李陵』 『山月記』 『名人伝』あたりであろう。 本日の話題は、この『名人伝』についてである。 この物語において、主人公の紀昌は、甘蠅という仙人のような老師に弟子入りし、不射之射を修得する。 不射之射というのは、次のような技である。
老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射というものをお目にかけようかな、と言った。 まだ動悸がおさまらず蒼ざめた顔をしてはいたが、紀昌はすぐに気が付いて言った。しかし、弓はどうなさる? 弓は? 老人は素手だったのである。 弓? と老人は笑う。弓矢の要る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆の弓も粛慎の矢もいらぬ。
ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。 その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、 満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
射術の奥義を修得した紀昌は、世間から「名人」ともてはやされるが、他人の前で、その技を披露することはなかった。 その理由を、彼は「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」と説明した。 そして『名人伝』は、次のエピソードで締めくくられている。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。 ある日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見た。 確かに見憶えのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。 老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。 老紀昌は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。 三度紀昌が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。 相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、 彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
「ああ、夫子が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」
その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。
若い学生や医師の中には、この最後の一文に共感できない者が多いのではないかと思われる。 自分はまだ学生だから、まだ若輩者だから、と、名人の技には及ばないことを、恥じることもなしに認めているのではないか。