これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/11/09 極端に偏った武器

私の武器は、極端に偏っている。 過日、同期研修医の某君が症例発表の準備をしているところに遭遇した。 発表内容について意見交換したりカルテを読み返したりしたわけだが、血液検査結果の「腫瘍マーカー」の中に「SLX」という項目があった。 私は不勉強なので、そういう腫瘍マーカーが存在するということを知らなかったから、「これは、何だい」と尋ねた。 すると、彼は「肺腺癌などで出てくる腫瘍マーカーだよ」と教えてくれた上で「医師国家試験の勉強で、やったよ」と言った。 私はニヤリとして、「国家試験の勉強で、やらなかったよ」と言い返した。

私は、学生時代から、自分の好きなこと、やりたいことしか勉強しなかった。 結果として、多くの医学科生が知っているような、いわゆる常識的な知識が、少なからず欠如している。 研修医になってからも、そうした「基本的」な知識を指導医から問われた際に答えられずに「こいつはダメ研修医だな」などと思われたことは、一度や二度ではない。 その代わり、一部のマニアックな医学上の問題については、一般的な研修医よりもはるか遠くまで見通すことができると自負している。

そういうわけで、私の医学上の知識や引き出しは、実に凸凹である。 こうした勉強法は精神的ストレスが少ないという利点を有するが、医師国家試験や初期臨床研修で苦戦することになるので、他人にはお勧めできない。

こうして他人と違った道を歩もうとすると、時々、不安になる。 そういう意味では、医学科の学生や研修医の諸君が、多数派に合わせた勉強法に走る気持ちも、理解できないわけではない。 しかし、そうした不安や孤独は、科学の道を選んだ人々が例外なく経験するものである。 むしろ、基礎科学の人々の目には、医師免許に守られた私などは、ぬるま湯につかった臆病者に映るであろう。

つまり悪くいえば中途半端、ということになるのだが、一方で、そういう私だからこそできる仕事、私にしか担えない役割というものが、あるように思われる。


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