これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
昨年、千葉県がんセンターにおいて生じた病理診断の検体取り違え事故については、今年の 1 月 6 日に書いた。 3 月 20 日には「続報がなく、一体、何ヶ月も、何を調査しているのかは、よくわからない。」などと悪口を書いたが、 実は2 月 17 日に調査報告が発表されていた。 これは、事故自体の公表記事からのリンクがなかったために、私が見落としたものである。 失礼した。
さて、調査報告によると、結局、どこでミスが起こったのかは、わからない、とのことである。 しかし、報告書を信じるならば、検体を容器に入れてラベルを貼付した後には取り違えが起こる余地がないように思われるので、ラベルの記載間違いなのではないかと思われる。 この病院では検体容器に貼付するラベルなどを手書きで作成しているようなので、そこで何かのミスがあったのではないか。 なお、報告書の中の「改善のためのコメント」としては、伝票の記載が不適切な例があることや、バーコードシステムを用いた検体管理システム導入の必要性などが指摘されている。
この報告書において気になったのは、 米国においては 1000 件に 1 件はラベルの間違いがあり、そのうち 1 % は臨床に影響を与えている、という報告が引用されていることである。 千葉県がんセンターでは、2014 年の一年間で 47 万件の病理診断があったらしいので、それを思えば 「検体取り違え事故がこれほどまでに少ないのは、現場の病理検査技師を含む病院全体の医療スタッフの非常な努力に支えられている。」 という報告書の記載は、事実に反するわけではない。 それでも、報告書の中でこれを引き合いに出すことは、不適切である。 この報告書の書き方では、「検体の取り違えは根絶しなければならない」という意味には読み取れない。 「一定数の事故は不可避なのだ」「我々が特に悪いわけではない」という弁明にしか、みえない。
病理診断には、万が一の誤りもあってはならない。 もちろん、病理診断で確定できないことはあり得るが、その時には「確定できない」という診断をしなければならないのであって、誤診は、あくまで許されない。 これが、臨床診断と病理診断の決定的な違いである。
学生時代、病理医が臨床医に対して不必要な配慮をしたのではないかと疑われる事例を、みたことがある。 これについて同級生と議論した際、ある人は「そうはいっても、君がみたのは、その一例だけであろう。」と言った。 滅多にあることではないのだから、まぁ、構わないではないか、というような意味合いである。 それに対し私は「病理医が日和るなどということは、一例たりとも、あってはならぬ。」と即答した。
病理診断とは、そういうものである。