これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/11/02 京都大学工学部

ある人から紹介されて京大受験生のための京大退学エントリという記事を読んだ。 簡潔に紹介すれば、京都大学工学部情報学科を退学しようという人が 2015 年 11 月に書いた、教育機関としての京都大学を批判する内容である。 著者は匿名で性別はわからないが、一人称が「僕」となっているので、ここは仮に「彼」と呼ぶことにしよう。 同じ中退といっても私は大学院博士課程であるから学部中退ほど深刻ではないし、しかも医学に逃げて再起しつつある私を、彼は「同類」とは認めてくれないであろう。 さらにいえば、中退の動機も彼は教育、私は研究、と、異なる。 それでも私としては、同じ京大中退であり、しかも彼の文章からは学問に対する真摯な姿勢がうかがえることから、彼に対して強い親近感をおぼえる。

彼の京大入学は 2007 年のようであるから、2002 年入学の私より五年、遅い。しかも彼は情報学科、私は物理工学科であるから、カリキュラムの縛りも、だいぶ異なる。 彼の文章を読んで、私は、同じ京大でも、ここまでも違うのか、と驚いた。 私の場合、一年次に配当されている微分積分学や線形代数学を「講師が気に入らない」という理由で放棄し、三年次や四年次になってから「再履修」という格好で単位取得した。 英語にしても、やはり「講師が気にくわない」という理由で単位放棄し、コンピューター上で自習教材、いわゆる CALL を使う再履修者向けの枠で、四年次までかけて単位取得した。 そういう選択が、あたりまえに認められていたのである。 しかし彼の場合、そうしたやり方はカリキュラム上、許されなかったようである。 彼は、物事をよく調べ考える人物のようであるから、私が使ったような抜け道に気づかなかったわけではなく、本当に、抜け道が存在しなかったのであろう。

私は、京都大学時代には成績優秀な学生ではなかったし、物理学や工学の学識は、学年でトップレベルといえるようなものではなかった。 しかし、学問において本当に大事なこと、学び究めるとはどういうことか、という点だけは、確かに受け継いだ。 彼の文章を読み、私のいた環境は京大の中でも極めて恵まれたものであったのだと、今さらながら、我が幸運に感謝した。

私は 10 年前に京都大学を離れた人間であるから、あの大学の現状は、よく知らぬ。 しかし、彼のような、よく考える学生を伸ばすことができず、むざむざ中退させたことを恥じる精神が、はたして総長以下、京大教授陣に、残っているだろうか。

京都大学の時代は終わった。 今となっては、京都大学は競うべき相手、我が北陸医大 (仮) の諸君と共に追いつき、追い抜くべき目標でしかない。 かつて京都大学は楽園であった。 そこで受け継いだ学問の灯を守り、北陸の地で次代に受け渡し、愛する母校・京都大学を打倒することこそが、私の役割である。


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