これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/10/31 髄膜炎菌と淋菌 (2)

昨日の記事の続きである。

髄膜炎菌や淋菌が低温に弱い、という考えの歴史は古いようで、1931 年の Lancet に掲載された著者不明のレビューには、既に

the meningococcus rapidly perishes when exposed to temperatures lower than 22 ℃

という記載がある(The Lancet 217, 418-420 (1931).)。 この時代には、採取した検体は、なるべく速やかに培養を開始すべきである、ということが認識されていたようである。 しかし現実には、採取してから検査室に運搬するまでに、少しばかり時間がかかってしまうこともある。 そこで R. D. Stuart は、こうした輸送の間に淋菌が死滅するのを避けるための「輸送培地 transport medium」を開発した。

Stuart による輸送培地の最初の報告は 1954 年の J. Public Health 45, 73-83 (1954). のようである。 あいにく、この文献は北陸医大 (仮) に所蔵されておらず取り寄せ中であり、まだ私自身は内容を確認していない。 しかし Diagn. Microbiol. Infect. Dis. 36, 163-168 (2000). によると、Stuart は当初、輸送培地は冷蔵せずに常温保存すべきだと考えたらしい。 その後、さらなる研究の末に彼は考えを変え、Public Health Rep. 74, 431-438 (1959). では、輸送培地は冷蔵せよ、という立場を示している。 Stuart 以後も輸送培地の改良や保存方法の検討は続いたが、基本的には、輸送培地は冷蔵した方が淋菌の死滅を抑制することができる、という報告が多いようである。

結論として、淋菌が低温に弱いという事実は存在しない。 現状では、ろくな根拠のない風説を皆が受け売りしているものと考えられる。

髄膜炎菌はどうかというと、J. Clin. Microbiol.43, 1301-1303 (2005). では、 常温に比して低温の方が髄膜炎菌が速やかに死滅することが報告されている。 これは、昨日紹介した「低温の方が自己融解しにくい」という報告とは、一見、矛盾する内容である。 おそらく、培地中に含まれる何らかの物質が、低温では髄膜炎菌を死滅させる作用を発揮したのであろう。

輸送培地においては、なるべく細菌を活動させず、かつ死滅させないような環境が望まれる。 栄養が豊富すぎても、いけないのである。 髄膜炎菌の保存が難しいのは、その「活かさず、殺さず」の許容幅が狭いためであると考えられる。

世間で言われる「髄膜炎菌は低温で死滅する」というのは、たぶん、正しくない。 これは「特定の培地上では、髄膜炎菌は低温で死滅することがある」というのが正しいだろう。 現時点では、臨床的には検体を冷蔵すると髄膜炎菌が死滅するのかもしれないが、それは髄膜炎菌自体が低温に弱いからではない、という事実を正しく認識する必要がある。


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