これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/10/29 肝逸脱酵素と炎症

過日、北陸医大 (仮) の研修医室で少しばかり盛り上がった話題について記載しておこう。 薬剤性肝傷害の患者において、血液検査上、肝逸脱酵素である AST は 500 U/L, ALT は 800 U/L と高値である一方、 白血球数や白血球分画、CRP は基準範囲内で、明らかな炎症はみられなかった、という症例がある。 このとき、著明な肝細胞傷害が起こっているのに炎症が起こらないというのは、本当だろうか、という問題である。

炎症を伴わない細胞傷害、とすれば、これはネクローシスではなくアポトーシスなのだろう、と考えるのが自然である。 では、肝細胞のアポトーシスで血中肝逸脱酵素の増加を来すだろうか。 これは、実は生物学や医学ではなく算術の問題である。 アポトーシスでは、細胞は多数の小さな小体、すなわちアポトーシス小体に分割される。 このとき、細胞膜の量、つまり細胞表面積の和は保たれると考えられる。 すると、幾何学的な事情から、アポトーシス小体の体積の総和は、元の細胞容積よりも、だいぶ小さくなってしまう。 この体積の差分だけ、細胞内容物が細胞外に流出していることになる。 たとえば、細胞を球形に近似して考えれば、直径が元の細胞の半分であるような四個のアポトーシス小体に分割される場合、細胞内容液の半分は流出することになる。

このように、アポトーシスでは細胞内容物が細胞外液、つまり血液中に放出されるわけであるから、肝逸脱酵素が血中に出現することになる。 一方で、アポトーシスなのだから炎症は惹起せず、白血球の増加や CRP の増加はみられない。 つまり、ネクローシスを伴わない純粋なアポトーシスであれば、冒頭で述べたような検査所見が得られるのは自然なことである。

では、ウイルス性慢性肝炎の場合は、どうか。 ウイルス性肝炎では、ウイルス感染細胞の表面に、ウイルス由来のエピトープが HLA class 1 と共に発現し、 細胞傷害性 T リンパ球の作用によりアポトーシスが誘導され、肝傷害に至る。 しかし臨床的には、CRP 高値や白血球増多を伴うのが普通である。なぜか。

Rosai J, Rosai and Ackerman's Surgical Pathology, 10th Ed., (2011). によれば、慢性肝炎では組織学的にはアポトーシスとネクローシスの混在した細胞死がみられる。 このネクローシスの原因は、よくわからない。 たぶん、ウイルス由来エピトープに反応したリンパ球が諸々のサイトカインを放出し、それに補体やマクロファージが反応し、細胞傷害を引き起こしているのであろう。 なお、いわゆる活動性慢性肝炎であっても、好中球はあまりみられない。

ところで、アポトーシスでも細胞内容物は流出する、と言われると、少し頭の冴えた人であれば、ただちに「それでは炎症が起こってしまう」と考えるかもしれぬ。 というのも、細胞質には mRNA などの核酸も含まれており、これは Toll-Like Recepter (TLR) などによって認知され、免疫応答を惹起しそうな気がするからである。 塩沢俊一『膠原病学』改訂 6 版 (丸善; 2015). によれば、TLR3, TLR7, TLR8 などの受容体が RNA を認識するが、これらの TLR は小胞体に局在しているという。 これらがアポトーシスに伴って放出された RNA に反応しない機序は、よくわからない。

2017.02.07 誤字修正

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