これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/10/20 レボフロキサシン (3)

大丈夫だとは思うが、私の書くことを無批判に鵜呑みにして妊婦にレボフロキサシンを投与するノータリンな医師がいないとも限らないから、一応、書いておこう。 某製薬会社の MR 氏から頂戴した情報によれば、ヒトにおいてレボフロキサシンが胎児に悪影響を与えることを示唆する報告はない。 しかし、妊娠中のラットに対してレボフロキサシン 810 mg/kg を経口投与した場合に、胎仔に発育抑制および骨格異常の出現率上昇が認められたという。 なお、これが 810 mg/kg 単回投与なのか、一日あたり 810 mg/kg なのか、それとも分割投与で総量 810 mg/kg なのかは、確認していない。 いずれにせよ、ヒトに対する常用量は一日一回 500 mg が基本であるから、810 mg/kg という投与量は尋常ではない。

レボフロキサシンは DNA トポイソメラーゼ阻害薬であるから、作用機序としては、アントラサイクリン系抗癌剤と同じである。 ただし細菌の DNA トポイソメラーゼに対する選択性が高いので、臨床的には抗癌剤ではなく抗菌薬として用いられる。 このことを考えれば、大量投与すれば胎仔に有害な作用を及ぼすのは、当然である。 私が 10 月 17 日に書いた「『DNA 合成阻害薬である』という機序から来る気持ち悪さ」とは、そういう意味である。 もちろん、大量投与した際に有害事象が生じるからといって、少量投与でも多少の有害事象が生じる、とは限らない。 ヒトには、多少の DNA 損傷に対しては何事もなかったかのように修復する機能が備わっているからである。

以上のことからわかるように、妊婦に対してレボフロキサシンを投与することを忌避すべき医学的に合理的な事情は存在しない。 しかし、製薬会社からは「(妊婦に対しては) 一切の投与を控えて頂きたい」とのコメントを頂戴した。 気持ちはわかる。私が製薬会社の人間であったとしても、万が一の場合に責任を持てない、という理由で、同様のコメントを発するであろう。 やるなら、製薬会社としては関知しないから、医師自身の責任でやってくれ、という立場である。

これに対して、医師側が「製薬会社がこう言っているから」というだけの理由で、一律に妊婦への投与を忌避することは不適切である。 我々は、我々自身の学識と良識に基づいて、患者の意思を最大限に尊重した上で、個別の事例に対して個別の対応をする責任を負っている。 我々が法外に高い給料を与えられているのは、そうした責任を遂行することに対する報酬なのであって、 無思慮に製薬会社の主張に従うような医師には、それを受領する資格がない。 法的にも、薬の使い方は、患者の同意および医学的妥当性の範疇において医師に決定権があるのであって、添付文書などには束縛されないのである。

たとえば腸チフスから重篤な敗血症を来したな妊婦に対しては、添付文書上は禁忌であっても、 充分なインフォームドコンセントの元に、レボフロキサシンの投与を検討するべきであろう。 それで有害事象を来して訴訟沙汰になったとしても、それが医学的に合理的な判断であったならば、我々が負ける法理はない。


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