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炎症が貧血を惹起する、という事実自体はよく知られており、英語では Anemia of Inflammation (AI) と呼ばれる。 その機序については、臨床的な観察事実に基づき、IL-6 や TNF-α などのサイトカインの作用により鉄利用障害を来し、 赤血球造血が抑制されるらしい、という説明が長らく一般的であったようである。 血液学の入門書である MEDSi 『ハーバード大学テキスト 血液疾患の病態生理』の原書は 2011 年に出版されたが、この教科書でも、 鉄利用障害の観点から説明がなされている。 一方、血液学の名著である Kaushansky K et al., Williams Hematology, 9th Ed., (2016). では、 炎症による鉄利用障害の説明に多くのページを割きつつも、赤血球破壊の亢進や、造血を促すホルモンであるエリスロポエチンの産生低下についても、 炎症による貧血の機序の一つとして簡略に言及している。 ついでにいえば、Kasper DL et al., Harrison's Principles of Internal Medicine, 19th Ed., (2015). でも、簡素ではあるが Williams と同様の趣旨の説明がなされている
炎症により赤血球破壊が亢進するという事実は古くから知られていたようである。 このあたりについては Cartwright による 1966 年のレビュー (Semin. Hematol., 3, 351-375 (1966).) が参考になる。 この時代に既に、炎症による貧血では古い赤血球が選択的に除去されていることが知られていたが、その機序については、よくわからなかったらしい。
炎症に伴う赤血球除去の機序については、近年になって、マウスを用いた動物実験によって部分的に解明されつつある。 Kim らの報告 (Blood, 123, 1129-1136 (2014).) によれば、炎症により末梢血中に破砕赤血球が出現するらしい。 破砕赤血球は、細い血管内で赤血球が部分的に破壊された結果として生じるものであって、いわゆる血管内溶血や微小血管傷害を示唆する所見である。 しかし Kim らは同時に、破砕赤血球の比率は 1 % 未満であり、他の溶血性疾患で 2-9 % 程度の破砕赤血球がみられるのに比して著しく少なく、 これが貧血の主たる機序とは考えにくいことを指摘している。
一方、同じくマウスを用いた動物実験に基づく Zoller らの報告 (J. Exp. Med, 208, 1203-1214 (2011).) によれば、 炎症に際して IFN-γ 依存的に増加するマクロファージは、脾臓において赤血球を貪食するらしい。 どうやら、炎症による貧血の機序としては、この脾臓における破壊が主であると考えるのが最も自然なようである。
この炎症による貧血に対する理解の歴史的変遷を巡り、よくわからない点がある。 炎症による貧血では比較的若い赤血球の割合が増加する、という事実は、遅くとも 1966 年には知られていたはずである。 これは、鉄利用障害による赤血球産生障害は軽度であるか、あるいは、むしろ逆に赤血球産生は亢進していることを意味する。 それにもかかわらず、ハーバード大学テキストや Williams, Harrison などで、 あたかも鉄利用障害が主たる原因であるかのような印象を与える記載がなされているのは、なぜなのだろうか。 だいたい、Williams でも Harrison's でも、炎症による貧血では、鉄欠乏性貧血に比べると平均赤血球容積 (Mean Corpascular Volume; MCV) は比較的大きく、正球性正色素性であることが多いと記載されており、 「鉄利用障害による貧血」という説明とは矛盾しているのである。
ひょっとすると、炎症による貧血の機序については、その臨床的重要性に反して、多くの人が深く考えず、 機序について多少の疑問を抱きつつも、そのままにして来たのかもしれぬ。
なお、Harrison's によれば、急性炎症では 1-2 日のうちにヘモグロビン濃度が 2-3 g/dL 低下する程度の勢いで貧血が進行し得るという。 急性に進行する貧血の原因を検討するにあたっては、この値が参考になるだろう。