これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/12/26 レミフェンタニルの薬物動態

過日、同期研修医の某君と麻酔科学について語り合っている時、彼は「レミフェンタニルはキレが良い」と言った。 もちろん私は、すかさず「キレが良い、とは、薬理学的にどういうことを言っているのか、意味が分かりませんな」と指摘した。 そこで本日の話題は、レミフェンタニルの薬物動態についてである。

レミフェンタニルはオピオイドの一種であり、つまり、モルヒネと類似の作用機序を有する鎮痛薬である。 麻酔科学の聖典である Miller RD et al., Miller's Anesthesia, 8th Ed., (2015). によれば、 レミフェンタニルは合成オピオイドであり、モルヒネの誘導体ではない。 「オピオイド」と似た語として opiate というものがあるが、これはモルヒネおよび、その誘導体を指すものであるから、レミフェンタニルは opiate には含めない。

レミフェンタニルは、ヒトの血液中で著しく不安定である。 詳しい構造については言及しないが、レミフェンタニルには -COOCH3 という構造が 2 箇所存在し、そのうち一方は、 血漿中に含まれるエステラーゼによって速やかに加水分解されるからである。 すなわち、レミフェンタニルは体内で迅速に代謝されるが故に、クリアランスが高いのである。 さらに、この加水分解の産物はオピオイドとしての活性が非常に低いらしい。 従って、すごく大雑把にいえば、レミフェンタニルの持続投与をやめれば、すぐに効果が失われることになる。これを、冒頭の某君は「キレが良い」と表現したのである。

なお、レミフェンタニルのクリアランスが高いのは、プロポフォールの血中からのクリアランスが高いのとは、機序が異なる。 半年ほど前に書いたように、プロポフォールの場合、分布容積が非常に大きいために、 血中から速やかに脂肪組織などへ移行する結果、血中から迅速に失われるのである。代謝されているわけではない、という点に注意を要する。

さて、Golan DE et al., Principles of Pharmacology, 4th Ed., (2017). は薬理学の名著であるが、 この書物は、麻酔薬については記述がぞんざいである点が惜しい。 299 ページに「レミフェンタニルの半減期は約 5 分である」などと書かれているが、 そもそも麻酔科学においては「薬物の半減期」という概念自体が存在しないのだから、話にならない。 この点について `Miller' には

The pharmacokinetic properties of remifentanil are best described by a three-compartment model.

レミフェンタニルの薬物動態は、3 コンパートメントモデルでよく記述される。

とあるが、これも、あまり正確な表現ではない。 なお、薬理学をキチンと勉強しなかった学生や研修医は「3 コンパートメントモデル」という言葉自体を理解できないであろうが、 このモデルについて、ここで説明する余裕はないので容赦されたい。

`Miller' の上述の記述には、参考文献が引用されていないのだが、たぶん、Egan TD et al., Anesthesiology 79, 881-892 (1993). あたりに基づいているのではないかと思う。 この報告をよく読むと、3 コンパートメントモデルでは近似しきれない、長半減期の成分が明確に存在する、という事実が述べられている。 一方で、この長半減期の成分は全体に占める割合が小さいために、臨床的には無視できるであろう、という理屈で、著者らは、3 コンパートメントで充分としたのである。

しかし、もしレミフェンタニルを長時間投与した場合に、この「第 4 の成分」が充分に小さいままであるという保証はない。 その意味では、3 コンパートメントモデルで充分であるという証拠はないのだから、`Miller' の記述は軽率であると言わざるを得ない。 `The pharmacokinetic properties of remifentanil are well approximated by a three-compartment model in most clinical situations.' などとするべきである。

なお、一部の研修医は「そんなこと、知らなくても麻酔はできるよ」などと言うであろう。 しかし、私が患者の立場であるならば、そういう発想をする医者には、麻酔をかけられたくない。


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