これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
法医解剖とは、司法解剖、行政解剖、および、いわゆる新法解剖の総称である。 病理解剖が専ら医学的関心に基づいて行われるのに対し、法医解剖は、公衆衛生や犯罪捜査を主眼にして行われる。 監察医制度が機能している東京や大阪、神戸などを別にすれば、法医解剖は、基本的に大学の法医学教室の教授などが行っている。 詳しいことは、法医学の教科書を参照されたい。
詳細は公表していないようにみえるので具体的な数字は書かないが、名古屋大学では法医解剖の件数が少なかった。 一方、北陸医大では年間 150 件以上が行われているようである。 私は学生時代、何回か法医解剖を見学し、たいへん、勉強になった。
この日記は赤裸々を旨としているので正直に書くが、私は北陸医大 (仮) に来てから、一度も解剖を見学していない。 研修が忙しくて時間がなかったから、というわけではない。単に怠慢であっただけのことである。 これではいけない、と思い、10 月某日、初めて法医学教室を訪ねた。
病理解剖にせよ法医解剖にせよ、その件数の少なさが問題視されるようになって久しい。 解剖が行われないということは、つまり、その患者がなぜ死亡したのか、よくわからないままに済まされる、ということである。 臨床医は遺族に対してもっともらしい説明をするが、その説明は、実は充分な根拠なしに推測だけで述べられていることが多い。
若い医師や医学科生と話すと、「日本人の国民性として、解剖は遺族が嫌がるから、仕方ない」などと言う者が稀ではない。無知丸出しである。 解剖を嫌がる、などというのは、日本人に限らず、世界中のどこに行っても同じことである。 もちろんキリスト教圏でも、長い間、解剖は禁忌とされてきた。 それにも関わらず北欧などでは解剖率が高いことは有名である。 これは、解剖による死因究明が、医学の発展や、犯罪究明すなわち治安維持のために重要である、という理解を得られているためであろう。 詳細については、根拠文献を孫引きする格好になって恐縮であるが、ある法医学者のブログを参照されたい。
若い医師や医学科生の多くは、関心の幅が狭いように思われる。 多くの者は、医学の中の特定分野、自分の専門分野にしか興味がない。 さらに言えば、そもそも医学に興味を持っていない者も稀ではない。もちろん、金にならない法医解剖や病理解剖などには、見向きもしない。 医師がそうなのだから、一般国民から解剖に対する理解など、得られるはずもない。 日本の医学教育は、根本から腐敗していると言わざるを得ない。