これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
どの学術分野においても、流行の研究というものがある。 たとえば核融合炉の研究においては、だいぶ昔からプラズマ動態の研究が流行分野であり、実際に炉を作るための材料研究などは、あまり盛んではない。 また、理由は知らぬが、近年こうしたプラズマ学者達と生物学者や医学者が手を組んで、癌治療へのプラズマの応用、なども一部で研究されているようである。
もちろん、こうした流行というものは、それが学術的に重要だとか、技術開発の鍵だから、という理由で生じるわけではない。 核融合炉の例でいえば、技術的には、材料開発が最も重要なのであるが、核融合炉に耐えられる材料の実現は極めて困難であると考えられている。 それに対しプラズマ動態の研究は、比較的容易であり、研究予算を獲得しやすく、論文を書きやすいが故に流行しているものと思われる。
プラズマの癌治療への応用なども、従来の放射線に比べてプラズマを利用することの利点を曖昧にしたままに研究が行われているフシがある。 というより、プラズマは物理学的には α 線や他の重粒子線と電子線の混合物に過ぎないのだから、プラズマであること自体に特有の利点があるとは思われない。 しかし、物理学的に考えて敢えてプラズマを使う意義は乏しくとも、「プラズマを使う」と標榜すれば新規性があると認められ、予算獲得や論文作成には有利なのである。 ただし、これが流行するのは、研究している当事者が科学的良心を欠いているが故であるとは限らない。 プラズマの専門家である物理学者・工学者は細胞のことをよく知らず、癌の専門家である生物学者・医学者はプラズマのことをよく知らず、 しかも相互理解が乏しいままに形式的な「学際的研究」が行われているとすれば、研究の全体像や意義を誰も把握していない、という状況なのかもしれぬ。
臨床医学でいえば、iPS 細胞を用いた再生医療の研究が流行している。 ただし、iPS 細胞を利用することの意義について、論理的に了解可能な説明を、私は聞いたことがない。 組織や細胞を再生させる目的なら、組織に現存する細胞を適切に刺激すれば良いのであって、多分化能を持つ iPS 細胞を経由する意味はない。 たぶん、本当に最前線で研究している人々は、iPS 細胞を使うことには本当は学術的意義が乏しいことを理解しているのではないかと思う。
腫瘍学の分野でいえば、遺伝子検査による癌の分類が流行している。 特に、いわゆる分子標的薬の有効性と関連して、HE 染色などを用いた組織学的分類の意義が低下した、と主張する者もいる。
病理学者の立場から申し上げれば、これは、とんだ誤解である。 極めて単純な遺伝子学的背景を持つ慢性骨髄性白血病などの例 (N. Engl. J. Med. 376, 982-983 (2017).) を別にすれば、 分子標的治療薬は生命予後を延長することはあっても、根治的ではあり得ず、また、疾患の本態を反映するものでもない。 なぜならば、癌は遺伝子学的に heterogeneous であって、腫瘍全体を表現する遺伝子プロファイルなどというものは存在しないからである。
病理診断医にとって闇の時代が訪れようとしているのは事実である。 形態学的診断については、近いうちに、AI に取って代わられるであろう。 AI による診断には現時点では少なからず技術的課題や法整備の問題はあるものの、いずれも本質的ではなく、やがて解決されるであろう些末なものに過ぎぬ。 そして疾患の分類や診断についても、遺伝子検査の有効性を信じる勢力が強いことは事実であって、組織学的観察を最大の武器とする我々は、 特に一部の臨床医からは、時代遅れになりつつあると思われているだろう。
しかし、理論医学としての病理学的立場から冷静に考えれば、遺伝子検査が疾患の本態を明らかにすることは、少なくとも今後 20 年ないし 30 年は、ないであろう。 遺伝子研究では、統計的に相関がある、といった点までは指摘できるであろうが、それが限界である。 たとえば、ある患者の前立腺癌が「ラテント癌で終わるもの」なのか「いずれ転移を来す恐れがあるもの」なのかを鑑別しようとするとき、遺伝子学が有用とは思われない。 「8 割方、ラテント癌で終わる」とまでは指摘できるかもしれないが、「2 割の頻度で転移する恐れがある」というのでは、臨床的には役に立たぬ。 それを「100 %, 大丈夫です」と断言することは、適切な観察方法を新しく開発する必要があるとはいえ、 理論と形態学を武器とする我々にしか、できない。
次世代シークエンサーの普及などを背景に、学術研究の潮流は遺伝子学に傾きつつある。 しかし、流行に乗ろうとする者は、流行に溺れる。真の科学者は、流行を作ることはあっても、流行に乗ることはない。
我々は、病理学の灯を守り、嵐の過ぎるのを待つべきである。 いずれ、我々の時代が来る。